黒猫と少年(2)
嘉野千尋

 
  *蝶


  黒猫の気だるい微笑みは、いともたやすく蝶を虜にする。
  その静かに差し出された手の上に、青い翅の蝶がとまる様子を、
  少年は頬杖をついたまま眺めていた。
 「可哀想なことをするんじゃないよ」
  少年はたまらず、そう口にする。
  黒猫の気だるい笑みは、今や艶やかなそれへと変わっていた。
 「可哀想なことってなんなのかしら。蝶はそれを、知っているのかしら」
  春も半ばを過ぎて、続く陽気に退屈し始めると、
  黒猫は思い出したように悪さをする。
  少年も、そこのところはよく承知していて、
  いつもは黒猫の好きなようにさせておくのだが、
  今日はなぜだか口を出してしまった。
  少年もまた、このところの陽気続きに飽いていたのかもしれない。
 「来たわ」
  ぴくりと耳を動かして、唐突に、黒猫がつぶやく。
  ほどなくして、びゅうびゅうと風の吹きつける音がした。
 「見てこよう」
 「あっ」
  少年が扉を開けた瞬間、小さな部屋いっぱいに突風が吹きつけた。
  小さく声を上げた黒猫の指先で、
  青い翅の蝶は一瞬のうちに一輪の薔薇へと姿を変える。
 「逃げてしまったわ」
  口を尖らせる黒猫に向かって、
  扉に手をかけたまま少年は、仕方なく肩をすくめて見せた。




散文(批評随筆小説等) 黒猫と少年(2) Copyright 嘉野千尋 2005-04-18 16:37:47
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