リンゴを貰う
道草次郎

色付いたリンゴの葉っぱに朝日が差していて、とても綺麗だった。収穫されたリンゴの実は軽トラックの荷台に載せられ、ちょうど農協の選果場へ運ばれて行くところだったらしい。勝手口に出て車の掃除をしていると、向かいの畑から野球帽を被った初老の男性が近付いてきた。

ツチヤさんのお父さんだ。ツチヤさんはぼくの中学の時の同級生で卒業してからは一度も会っていない。ツチヤさんのお父さんは気さくな人で、今朝もそれは変わらなかった。

突然、リンゴをひと抱え戴いてしてしまう。
耳に伝わってきたのはツチヤさんの近況で、それは木枯らしのように胸を通り過ぎて行った。クラスで机を並べて勉強したツチヤさんは、今はケアマネージャーになっており、子供も既に二人産んだそうだ。

どこでどう分岐したというのか。ぼくは漠然と思った。ツチヤさんの人生とぼくの人生、そのどちらが幸せな人生と言えるか。バカバカしい考えではあるが、微塵もそうした考えが兆さなかったとはどうしても言えない。ぼくがこんな事を考えているなんてツチヤさんはきっと思いもしないだろうな、そう思うとなんだかすごく不当な目にあっているような気がして、少しだけ背中に汗をかく。

お返しといっては何だったが、家で獲れた甘柿を一包み差し上げた。非常な甘さの中に一抹の渋みを隠した柿である。父がえびす講というお祭りで、子どものぼくの為に買って植えたものだ。

ぼくはツチヤさんのお父さんに言った。
「ツチヤさんにお伝えください。お父さんがこんな美味しそうなリンゴをたくさん作ってくれていて羨ましいな、ななしがそう言っていたと」

そうなのだ。たしかに美味いリンゴである。ぼくの胃袋は昔から複雑な感情とは別の次元にあるようで、そのことがぼくの人生の大部分を規定してきたと今となってはしみじみと思うのだが、まあそれはそれとして。曰く、「人を妬んでりんごを拒まず」。ぼくはそういう人間なのだろう。そんな事を考えながら、今宵は、りんごをムシャムシャと食べている。







散文(批評随筆小説等) リンゴを貰う Copyright 道草次郎 2020-11-22 22:07:10
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