葱トリック
月夜乃海花

東京某所。N駅近く。

確かあれは去年の今頃に起きた出来事だった。

私は何事も無いような文章に書く価値も、そもそも思い出す気力が勿体無いような日常のルーティンを繰り返していた。いつものように同じ時刻に来る電車に乗り、同じ道を通る。いつも見るコンクリートはまさに東京といえるような物も、特に無くただのコンクリートであった。

そんなコンクリートの地面をぼーっと、歩いていると緑色の何かがあった。緑色の何かが私の住むアパートの目の前に落ちている。そっと、近づいて見てみる。

ネギだった。

ネギ。ああ、ネギ。
そう、ネギだ。

ネギの緑色の葉が落ちていたのである。

そして当時の私は

「流石、東京にはネギが落ちている。素晴らしい東京。」

などと感動を覚えたものの、今になって気づいた。ネギが落ちていることとそもそも、東京は特に関係ないのではないか。それ以前に、なぜネギの緑色の葉だけ落ちていたのか?

そう、おかしいのである。

例えばネギを買って落としたとする。だとしたら、ネギは葉だけではなくあの緑と白のコントラストが目立つ物質が落ちていないといけないのではないのだろうか。

私はこれを葱トリックと名付けることにした。

一年後、このトリックに私の人生は踊らされることになるとは思いもしなかった。



「うん、ネギが落ちてたんだよ。」

本日、母と前述のネギについて話した。

「流石、東京すげぇわぁ。」

母の感想はその一言だけだった。私の当時の東京での納得はどうやら遺伝だったようだ。そして、そのネギについて話していて気づいた。

「どうして、ネギの緑色の部分だけ落ちてたのだろう。」

「落ちたかったからじゃない?」

母のネギ自体が落ちたかったという願望説もあったが、それよりも私は矛盾が記憶の片隅にこびりついていて仕方なかったのである。

「普通、ネギって緑色の部分だけで居ることってある?」

これは母に対しての私の会話の台詞であるので、わかりにくいであろうが、訳すと

「通常ネギというものは人間の手から葉だけ離れるのか?茎だけ落とさずに葉だけ落とす理由はあるのか?」

ということだ。

あの時の状況をよく思い出さねばならない。

冷たいコンクリートに横たわるネギ。

ネギは緑色の葉だけ残されていた。

何故、犯人はネギの白色の茎を持ち帰ったのか?

まず、第一候補。

誰かが故意にネギの緑色の葉だけを切り取り、あえて茎だけ持ち帰る。もしくはネギをバラバラにしたい衝動を持つ人間がバラバラにしたネギを持ち帰ろうとした際に落としたのか。

これはすぐに頭の中で否定された。

何故なら横たわるネギの葉は故意に斬られたような断面、いわゆる味噌汁に入れられたネギの跡はなかったのだ。本当に葉だけで居たのだ。

だとしたら、ネギが自然に落ちたとしか考えられない。それは人間の手であろうがネギを咥えた鴨が落としたのかわからないが、自然に葉だけが落ちたのだ。

そして気づいたのである。ネギの断面を考えてみると簡単な話であった。ネギは多重構造になっている。わかりやすく言うと玉ねぎのようなものである。めくってもめくっても玉ねぎは玉ねぎであるように、ネギはネギなのだ。

つまり、私があの日見たのは。ネギの1番外の皮。そう考えるのが最も自然であろう。ネギの外側が恐らく何らかの方法により、引っ張られてその緑色の葉だけが残ったのであろう。ただ、どうやって引っ張られるというのか?

頭の中にネギを描いてみる。緑と白のコントラストが美しいとも何とも言えないが臭いがそれなりにする、あのネギである。そして、ネギを千切ってみる。手で力を加えて緑色の葉だけ千切れないか試した。

ビシャァ、とネギの体液が溢れ出した。脳内には千切れたネギがいた。ネギが私の手により千切られたのだ。やはり考えた通り、簡単にネギが都合よく皮だけを残して道に落ちることはないようだ。なら、どうやって?

などと思考しているうちに単純な疑問に気づいてしまう。

「玉ねぎは葱なのか?」

母に恐る恐る聞いてみる。

「あのさ。ネギってさ。玉ねぎの仲間?」

「仲間も何も葱でしょ?だって、長ネギ、玉ねぎ、じゃん。」

なんということだ。

ネギは、私のあの日見たネギは、いやずっと生まれながら意識せずとも頭で見たネギは

玉ねぎの仲間だったのだ。私の想像していた、長いあのネギは葱科、玉ねぎと同じ葱科だったのだ。

「だって葱じゃん。」

母の台詞がリフレインする。葱じゃん、葱じゃん、ネギじゃん、ネギ、ネギ、ネギ。

そう、ネギだったのだ。玉ねぎと長葱は同じ葱科の兄弟だったのだ。生まれて20年以上経って何故気づかなかったのか?

「玉ねぎと長ねぎってどれくらい仲間なの?日本人とアメリカ人くらいの違い?それとも近くのご近所で『あら、おはようございますぅ。あそこの家がー、』って世間話するレベル?ねぇ、どれくらい近いの__?」

「知らん。」

私のネギへの疑問はたった3文字で掻き消された。

こうして、ネギの事件は幕を閉じたのである。長葱は玉ねぎと同類だった。彼らは一見違うように見えて、同じ仲間だったのだ。にもかかわらず、大根と人参のように料理に同時に入れられるようなこともなく、互いに知らんぷりして生きてきたのだ。なんということだろう。

私が話せるのはここまでである。もはや、ネギの仲間である玉ねぎの存在に気づかなかった私にはこの事件を解決できる権利はない。玉ねぎは非常に便利な野菜でいつも側に居たというのに。

私は、そっと涙を流した。愛しいネギに向かって。
違和感に気づかなかった自分の傲慢さと無注意さを反省して今後は、

ということも特に無く、その後玉ねぎについて調べてみた。そして、玉ねぎ畑の画像を発見した。

その畑の玉ねぎはいわゆる玉ねぎと呼ばれる部分の上にネギの葉が生えていた。むしろ、玉ねぎは葱の根っこや球根であり、実際の玉ねぎの本体はネギの葉のように見えた。そう、私があの日見たネギだ。

一つ可能性が増えた。

あの日見たネギはどの葱であるか?

ということである。

もう、私には解き明かす力は残っていない。

決して、葱について考えるのが飽きた訳では無い。決して、頭の中が葱の匂いで充満して頭がどうかしてしまった訳では無い。決して、長ねぎと玉ねぎとネギの涙で頭がおかしくなった訳では無い。


散文(批評随筆小説等) 葱トリック Copyright 月夜乃海花 2020-11-10 20:19:29
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