怨念の赤い糸
ただのみきや

湿度計

乾いた悲哀に触れる時
こころは奥から浸みてくる

湿った悲哀は跨いで通る
乾いたこころが風を切る





〇〇主義に痴漢する
 Ⅰ

知識は雄弁であり
知恵は寡黙である
知識は言葉でしか示されず
知恵は行動でしか示せない

知恵も知識もなんのその
愚者は雄弁で行動的
歴史は時々それを賢者や英雄へと呼び変える
歩がト金に成る以上
イカサマにも寛容で
評価の数がすべてを決める

民主主義とは
自らが主役だと思って疑わない大群衆を
上手に踊らせる者が所有する豪奢な庭園



思想くんは苦行者
彼を慰めて苦痛を紛らわすのは理想さん
二人はティーンエイジャーのカップルみたいに
べったりいつも一緒だったけど 悲しいかな
蒸発するのはいつも理想さんの方

人は神の子にはなれない
だからと言って蟻にもなれない
宗教はアヘン 然り 共産主義はエタノール
労働者は酒場で夢を見る






雲を眺めていた
良いことのように思えた
海や山を眺めるのと同じように
無垢な心持ちの気がして

比較するものがなければ
綿菓子みたいに掴めるが
こう山の上を流れていると
今更ながらでかさに呆れてしまう

人が雲に乗ったところで
地上からは見えはしない
天使のような子どもが手を振ろうと
死んだ祖父母がにっこり笑おうと

恐ろしいほど人は小さい
あの綿菓子を覗くには
望遠鏡より顕微鏡
等身大の夢を探索するミクロの決死圏

雲を眺めていた
良いことのように思えた
だが良し悪しはいつも後出しで
そうしたかった それで十分





羽根

小鳥たちの官能と
黴のように青い月の頬骨
鼻腔を満たした霧の朝
枝分かれした時の先端で
手袋をしたままの雄蕊と雌蕊が発火する

誰かが言葉を投げつけると
それは雪玉みたいに大きくなった
叫びながら後を追うサッカー下手のデモ隊を
素早く過去へと押し流す
水洗トイレから逃れるための箱舟工作

不眠症の脳は相変わらず空を浮遊し
粉砕された頭蓋の堆積からなる氷の大地に
舞い降りた一羽のオウムの錯乱と
黒塗りの神話の朗読劇を見下ろしている

それが詩人であれ先史時代のラジオであれ
極めて内向的な幽霊であれ
記号の指輪と記号のピアスと
空気を揺らさない呪文で繋がった
虚構的都市生活では鴉の迷惑行為にすぎず
抹殺する手間暇と天秤にかけられたまま
静止的識別を得ようとすることで増していく
眩暈の中で ふと靴の先に見つけられてしまう
抜け落ちた一本の羽根の黒の青さ





おんねん芸者

首から上がない着物姿の女が酌をしてくれる
盃は透明でわたしの不安な指先が形作っていた
女の手はことさらになめらかで
女形のように白く科をつくる
酒を注がれる度意識はフラッシュを焚かれたよう
一瞬の心神喪失を引き起こす
短い眠りの合間の夢から覚める瞬間に似ているが
夢ではないから覚めようもない
――まるで三々九度だ
まめまめしく酌をされる度
無言の落雷
脳は白熱球になり
フィラメントが焼き切れる
女は面白がっているのか止めようとしない
だがそこには何の啓示もなく むしろ
誰かの啓示のための挿絵にでもなったようで
入子状の黴臭い笑いが奥の方でカタカタ鳴るのだ
首もないのに女の笑いもそれとなく膝に零れて
真っ赤な情念を散らした後の
満ち足りた諦念を醸している





一本松

呻きが樹皮を裂く
思考と情念を袷に縫い上げてゆく 娘の
白く縺れ合う蛇のような指先に懸想した
片端の翁の顔が
朝の光を陰と陽に振り分る
浮き立つものは雷を流す溝か
千年を超えて燃え上る松明よ
拷問の渦中に大気へ射精せよ





ポプラ

赤子の唇に触れる指の重さ
いま光は睫毛をみな寝かせてしまう
蜜柑ひとつ額に乗せて

ボールの疎らな心音
置き去られた影のように
建物の中を逃げ惑う鳥
老人たちの朴訥なテニス

その向こうには一本の樹が
黄色い蝶で埋め尽くされ
眩しくはためいている
脳が内から冷たく焦げてゆく



                   《2020年11月8日》








自由詩 怨念の赤い糸 Copyright ただのみきや 2020-11-08 14:36:10
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