ベトナム幻想
道草次郎

三角形の底辺は
アオザイのくびれよりも
ずっとかなしい
ユーラシア大陸の階段を下ると
翡翠の渓谷がある

スパンコールの鱗を
女たちは
その鎖骨にきざみ
孤独など贅沢よとばかりに
洗濯場の背中が
窓を
たしなめる

廊下にうずくまる
浅黒い子どもが
全詩集に
お茶をこぼしてしまう
すると
それを見たもっと幼い子が
けたたましく嗤う

錐揉み状の
フランス訛りで
逆さにされた鶏は
前触れなく首を
ちょん切られる

ジャンパーを羽織り
ドライアイで死にそうな海に
ベトコンの息子は
今日も漁に出る

詩なんて書く気も起きない
おそろしく湿潤な霧にうかぶ艀
金にもならない魚籠を
日がな編む老婆は
きょうも華僑に
賄賂を握らせている

どうにもならない
七十年代の地雷の夢を
二行あれば事足りる文章で
この国の詩人は
ハノイの石仏に刻むから
鳩の姿は
きっとどこにもない

愚昧の宝物は
帝国の棺を収めた
隠し部屋に今もねむっている
今宵も一騎の幽体が
銃創をこしらえに
闇へと
水のようにしずんでゆく


自由詩 ベトナム幻想 Copyright 道草次郎 2020-11-04 19:34:55
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