最近また石が出た
花形新次
真に苦しいとき
人は詩などに
救いを求めるだろうか?
戦場の兵士が
詩集をポケットに忍ばせていた
とか
一編の詩を口ずさみながら
敵に突進して行った
とか言えば
そりゃあカッコいいだろうが
現実はそうでないと思う
他人の詩を読むときも
自分で詩を詠むときも
苦しみの頂点から
ちょっと下がったところに
いるときではないだろうか?
尿管結石の痛みは
私が唯一暗唱出来る
鮎川信夫の詩の
「太陽も海も信ずるに足りない」
という一節にぴったり当てはまるが
実際は
ただひたすら
のたうち回って
「早く小便で出てくれ」
と思うだけなのだ