死紺亭兄さんへの手紙
服部 剛
私がその男を目撃したのは、19年前の夏。
井の頭公園野外ステージのオープンマイク。
オレンジ色のTシャツに、黒縁眼鏡、銀ぎら
ぎんのプラスチックのマイクを握りステージ
に立った男は「OK~~~!」と、叫んだ。
何がOKだか、分からなかった。 が、眼鏡
の奥の眼光は残像となり、焼き鳥屋の煙漂う
帰り道で〈彼は一体何モンだ?〉と呟いた。
あれから時は流れ、私共はそれぞれのぬかるみ
に足を取られては、抜け出して、何とか歩いて
いるうちに……いつしかオッサンと呼ばれる齢
になっていた。 ある晩の Twitterの 架空の
『詩人バーむらさき』のカウンターで兄さんは
ぽつり言う。「Dead or alive」と――。
死紺亭の「死」は「生」につながるクモの糸。
――闇に貼られたクモの巣は一瞬、光を帯びて、
今夜の「ときわ座」の過渡期の時の只中に集う
僕等は、いつのまにか掴まって、眼鏡をかけた
死紺亭柳竹ならぬ死紺亭クモを中心に、なぜか
笑みを浮かべて喰われるのを、待っている。
――というのが今宵の「ときわ座」の夢であり
ます。夢と現は背中合わせでありまして思えば
あれは15年前、大阪で朗読ライブに出演する
私共は、新宿発の深夜バスの待合室で語らい、
兄さんは自分の大事な生い立ちを分かち合って
くれたのでした。 あの頃ずいぶんガンバッテ
いた兄さんは少々草臥れていたけれど、バスが
出発すると、いつしかすやすや寝てました。
そんな記憶も今思えば夢のよう。今夜の「とき
わ座」もいつかは夢になるでしょう。晴れの日
ばかりじゃないけれど、どうせ見るならイイ夢
を。皆の言葉でつくる、今夜の「過渡期ナイト」
という夢を――。
朋よ、君が柳の時、僕は竹
君が竹の時、僕は柳
この心の空洞に耳を澄まし
風にそよそよ、吹かれよう
芸歴30周年、ポエトリー20周年、おめでとう。
あの夏に歩き始めたPoetry Load
旅の続きは、これからだ。