人体実験
ただのみきや

ネズミ

ネズミが死んでいる
毛並みもきれいなまま
麻酔が効いたかのように横たわり
玄関先のコンクリートの上
雨に濡れて隠すものもない
死んだネズミは可愛らしく
人に害など決して与えない
童話の中のやさしい動物か
ビーズの目鼻を縫い付けた
よく出来たおもちゃのようにも見えた
あの欲求と運動
引っ切り無しに揺らめいた
生命現象の鎮火により
じっくり鑑賞できるのだが
果たしてこれは
死を枕にすやすや眠るネズミそれとも
ネズミの中でまだ寝ぼけ眼の死なのか
するといつもの煩いがやって来る
まるで季節の挨拶でも交わした後
こちらの出方を待っている
問うような 促すような沈黙が
面倒は先延ばし
わたしは仕事へ向かう
生ごみに出すか
土に埋めるか
鴉が持ち去ることを期待して





詩は方便

わたしの生は詩へと瓦解する
虚構として再構築され
前世のように匂い立つもの
詩と呼び馴らす
棺あるいは墓石に宿るもの
真実と
口にした途端偽りとなり
鏡の国で無限増殖する
その夢幻的変換
主観的幽霊を
詩と名付けて可愛がる
つまり方便
わたしがそう呼ぶものを
他人にもそう呼んでくれなんて
端から思っていない





慰労会

もう長いこと世話になりっぱなし
ずいぶん迷惑もかけてきました
わたしも年を取り
あなたも年を取り
さあ 今夜はわたしのおごり
とことん飲み明かしましょう
もっと強いやつにしましょうか?
どんどんやって下さい 肝臓さん





水栓を捻ると

蛇口から水が流れ出す
水は光を宿す 半分透過させ 半分滑らせながら
   長い産道を通ってやっと生まれ出たのか
      暗い死の陰を巡って再び生を得たのか
        ゆらめき 踊り 落下して
              排水口へと消えた
                なんと短い川 
                   ささやかな滝





この国の秋は

鮮血の木の実の下 幻の金貨が揺れている
尽き果てて剥離した蜜蜂の痙攣
光と影の象嵌細工 夏へ支払ったものの釣銭

吹き矢を放つ子どもたち
戦慄く影は忠実に踏まれ続ける花
裏切りを特権とする本体とは違い

リボンを外して包み紙を剥がす
水耕栽培の根のように育った少女は
ワッフルを枕にして子宮の吃逆しゃっくりを数えていた
やがて不眠症の魚の水槽へと成長し
見つめる者の視線をすべて屈折させた

物事一つ一つは繋がりもなく別個の鍵を持っていた
一切の意味も疑問も必要ではなくただ鍵を挿して回す
社会は行為とその繰り返しを要求した
彼女は機械の教派と教義の信者のように無垢のまま

高所作業車が空の神経に咬み付くと
皺の寄った太陽は御守り袋を開いたままで沈黙した
時間は裸体で落下してミミズたちのSOSには答えずに
煌びやかな散乱でレジスタンスを鎮圧する

透明な隠蔽
忘却はすでにときの声を上げ
犯人は次々処刑され
紫陽花は色を変え
物事の重さは絵へと塗り込められてゆく
ばら撒いては巻き上げる
この国の秋は美しい光輪を帯びて





小火

今朝方胃の袋上部のアパートの一室で小火ぼやがあり

 強いラムを頭から被って焼身自殺した五
 十代の男は不死身だったらしく以前は
 スーパーマンとして人気を博していたが
 人助けに飽き飽きして引退してからは
 「ゾンビ」と呼ばれ近所から敬遠されて
 いた男は散歩を日課としていてダンテの
 ように地獄を巡ってはこれ以上死ねない
 死者たちの悲惨な刑罰を眺め様々アフレ
 コすることを唯一の楽しみとしていたよ
 うで病院からの入院案内を無視し続けて
 恋は後々燃え上るものと言いながら近所
 の自動販売機と交尾を繰り返していた
 そんな自分のみ愛するネッカチーフ常習
 者不死身の自殺魔は明日も明後日も強い
 ラムを頭から被ってジッポで火を点ける

今朝方胃の袋上部のアパートの一室で小火があり





きみは

きみは風に舞い上がる古新聞
四散する記憶と記録であって
虹を駆け上り滑り落ちる自他の区別を失くした心音
きみはビルの屋上に捨てられた靴の中のオレンジ
身体の断面に一つの眼球を持ち
ゆっくりとだが正確にわたしを眼差す磁石
きみは香水瓶の中で溺れた蜘蛛
箪笥の中で下着に埋もれる香しい棺
互い違いに渦を巻く蝸牛の無限大に隠蔽された
ひとつの舌による両性の囀り
絶えず愛に枯渇して死に続ける池の魚
きみは白紙のまま投函された言葉の処女性を
感光させる疫病にも似た赤い涙の滴礼
汎神論と構造論で世界を紐解きながら
それらの外に在る唯一絶対の眼差しに焼かれて
大理石よりも白い塩の柱
崩れる刹那の風の微笑
言葉の一元論で背中から刺し止められた
虹色の蠅の標本であり苦悩と悪夢のゆりかご 
性器に擬態したウツボカズラ
祭壇の直前で谷底へ落下する美しい滝
白く長々と裂けてゆく花嫁に似た鎮魂歌




マトリョシカ

幸福は心に溶けるけど
不幸は溶けず固い層になる
どの年頃 どの層が語っても
その口は今の自分の口でしかない





万華鏡

記憶や苦痛の切れ端が
幾つか落ちているだけ
出口のないうつろな心
華などひとつもありません
虚像だけなら差し上げます



                   《2020年10月10日》









自由詩 人体実験 Copyright ただのみきや 2020-10-10 16:26:02
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