庭の話など
道草次郎

 歳を取り年々感じるのは、死んだ父にますます自分が似てきたという事だ。父は自分が十七の時に他界した。享年五十八。逝ったのは冬のおそろしく寒い夜更けの事だった。その時のことは今も鮮明に覚えている。
 何といっても植物が好きな人だった。ことのほか花木を愛しており、実家の庭には種々の珍しい花木と見たこともない花々が植えられていた。それらの大半は現在も残存しているのだが、自分には、その名前すらよく判らない樹や花も少なくはない。
 父が入院していたとき、いつもその枕頭には植物図鑑があった。元来恐るべき蔵書家で、またそういう方面の仕事を生業にしていた手前他に幾らでも読みたい本はあっただろうに、何故か植物図鑑だけは手放せない様だった。それだけ好きだったのだと思う。
 元気だった頃は、夜も明け切らぬうちから林檎と葡萄の消毒と草刈りを済ませ出勤。帰宅してからは何時間もかけて水やりをして雑用もこなす。そんな生活を当たり前のように何十年も続けていた。家庭状況その他の事情は違えど、自分には到底できない事と今になり振り返れば思う。

 父に似てきたというのは、見た目云々に関しては言うまでもなく、その好むところが似通ってきたという意味でもある。食い物然り、読む本然り、母に言わせれば一寸した拍子にする返事然りである。しかし、もっとも自覚するのは、先ほども触れた通り植物への関心についてである。
 父は本当に植物に詳しかった。そして、植物を愛していた。行きつけの植木屋では半分冗談で先生と呼ばれ、会社でも植物博士で通っていたらしい。そんな父を見て思春期を過ごした自分は、父のやっていた事を何となくただ見ていただけであった。やがて父が世を去り、一人暮らしをする為に自分が家を離れてしまうと庭はみるみる内に荒廃していった。致し方ない事ではあったが、それは情けないことでもあった。

 我が家の庭の真ん中には、シンボルツリーとして、花の木という名の大樹が鎮座していた。とある大風が吹いた日の未明の事である。根方から二股に分かれているうちの一方が、予てよりひどく朽ちていた洞の脆弱さに耐え切れずに、一気にドッスンと倒れたのだ。倒れた幹はちょうどそのとき母が寝ていた部屋の上に直撃した。損害は樋がひしゃげたのと屋根の一部がわずかに破損したのみで済んだが、破壊音がした瞬間、母はついに大地震の到来かと吃驚し飛び起きたそうだ。そのあと母と二人で、「これはお父さんが守ってくれたのか、それとも怒ったのか分からないね」と言い合ったものだ。そんな事もあり、父が存命なら丈夫に立派に育って行けた筈の樹木たちは年々に脆くなり、その結果として倒木の憂き目にあったりするようになった。
 しかし、これは生態系における常識なのだろうが、珍しいものや土地に根付きにくいものはやがて他の優勢なものに駆逐される。珍花より雑草のほうが強壮なのは誰でも知っている。父は花木の珍種をことに好んだ。なかなか人が育てない樹を手に入れてきて、それを育て上げることに喜びを感じているような所があった。だから当然その父が居なくなり、面倒を見る者がなくなればそれらの珍種が朽ちるのは時間の問題だった。ものの数年で殆どが病気をわずらうようになり、十年を過てからは倒木はざらだった。

 しかし、なかには強いものもあるにはある。
 例えばなつめの樹である。これを人家の庭に普通に植えることがよくあるのかは知らないが、この樹はじつにたくさんの棘を持っている。それはそれは恐ろしく尖った棘である。これは自分の思い込みかも知れないが、前年に剪定を施された樹は必ずと言っていい程かかる年の棘を増やしてくる。それどころか棘は前より鋭くなっている。とは言えこの樹は木質がしっかりとしていて成長も逞しいので、枝を落とす必要はどうしても生じる。よって、毎年大変痛い思いをしなければならなくなる。しかも、年々棘の脅威は増すのだ。病気にも十全な抗体があるらしく、秋には臙脂えんじ色の熟れた実をふんだんに落とす。その樹の枝々を剪定するのは、どことなく、縫い針だらけのクリスマスツリーの飾り付けでもしている様な気分だった。そういうじつに恐ろしい樹だけは、憎まれっ子世に憚るではないが、負けずに生き残っているというそんな話である。

 それから、ブナ、クヌギ、ナラの類である。これらもじつに強い。所謂ドングリをならすのがこれらの樹なのだが、確かにあのドングリ一つとっても全く硬くて丈夫なものだ。ブナもナラもクヌギも何本かあった。これらはあまり病気にならない。もともと強いのだろう。でも、あまりに強く枝の勢いも盛んな為、あっという間に茂ってしまい周りに害を成すきらいがある。周りにあるのが、他の植物や家の物置などだけならば放っておけばいいが、場合によっては公道や隣家へもその手を伸ばすことがある。いったい何本この手でそれらの図々しくはみ出した枝を切ったか知れない。いきなり根本からチェーンソーを入れるわけにはいかないので、上のほうから徐々に少しずつ枝を落としていく。梯子に乗ってそれをやるからうっかりもしていられない。大きなナラともなれば電線にまで達するほどの高さだから、気を抜いていると死ぬのである。落とした枝も幹もこれがまた厄介で、けっきょくはバラバラにしないと燃やせない。何か月か放置して乾燥させた後、畑の一角で盛大に焚くのである。新聞紙や焚き付けの為にストックしてある藁などを使い、火を付ける。いくら乾燥させてあるとはいえ最初はどうせ燻っているから、長い柄杓に少量のガソリンを汲んでそれを上からぶちまけてやる。そうすると、一気にぼわっと燃え立ち驚くほど赤々と焔える。ブナやナラはこういう面倒な事をしなければならないので、有るだけで、随分と困るのだ。

 もう一つ、とりたてて珍しい事ではないのだが、自分にとっては印象深い話を。
 ヤマボウシという樹がある。どうもこの樹にまつわる話は変わっていて、実のなるものは不吉だという言い伝えに端を発する。なぜそういう伝承があるのかその詳細に関しては不明である。ただ自分が覚えているのは、父にヤマボウシの白い花がきれいだと言うと決まっていつも、「あんまりよくない、不吉な花だから・・・」と話を濁された事である。それは何かこうモヤモヤしたしこりのような感情を幼心に残した。ヤマボウシは美しい白花を付けるのだが、不吉と言われるとなぜかその白さが少し青みを帯びてくるから不思議だった。言い伝えや伝承の類が事実であるか否かは、何というか、あまり重要ではない気がする。白いものが青白く見えてくるというのが、父の捉えどころのない濁しとともに脳裏に立ち昇って来る時、ある種の真相を自分がそこに見てしまう事の方が肝心である気がする。或いは、父は自分が記憶したようには言わなかったのかも知れない。しかし、記憶のそういう不確かさも織り込み済みで立ち現れて来るものこそ、もしかしたら本物の記憶なのかも知れない、そんな事をつらつらと考えたりする。

 父に似てきたと言ったら父はたぶん笑うだろう、お前などまだまだと言いたげに。最近どうにかやっと植物を愛でる気持ちが分かってきた、ような気がするという話である。心が惑ってわなわなとなるような宵口にふと玄関を出て、庭へと続く飛び石の方に行く。暗がりに咲く孔雀草やジニア。白い花を咲かせるシュウメイギクの細いうなじのような茎。そういった花々の姿に、近頃、心奪われることがあるというだけの話だ。
 あまりに何もかもが変わり過ぎたここ最近の事々に追いつくように、花々も樹木も、その身にしんしんと秋を刻み付けつつあるようにみえる。そこにあるものがただ美しい、それだけなのである。父もやはりそうではなかったか。美しいと感じることに理由など要らない。歳月が自分を父に似せたのか、それとも、父が歳月を自分に送って寄越したのか、それはどちらにしても同じことだろうか。
 ただ季節は一時も止まることなく、こうしている間にも冬の足音は近づいている。もしかしたら、花木を愛するというのはその季節の音を聴く事と似ているのかも知れない、そんな風に考えたりもするのだ。



散文(批評随筆小説等) 庭の話など Copyright 道草次郎 2020-10-04 01:06:05
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