秋風遁走曲 他四篇
道草次郎

「秋風遁走曲」

暗い気持ちで書いている
魚になって書いている
迷路を描いている
出口だけを描いている
胸に有り丈を沈めている
海の深さを見誤っている
雲を扇風機でながしている
雲は素直に流されていく

ひとつふたつと
数えるものが欲しい
指があるのに
数がない
あたまのなかは真っ白け
目の奥が痛い


どこへ行けばよいのやら
猫はまよったためしがない
心配は他所へ置いておこう
うさぎの瞳を見てみなよ
足りないのだから仕方がない
蜻蛉の交尾はほとんど曲芸
やる気が出ないどうしよう
やる気のある動物なんていない

一番ひどくやり込めるため
君は数学と哲学と
たぶん宗教学を学ぶ
だからどうした
そういうこともありうる
人間ならば
ありうるよ


ながれてながれて消えていく
あるいは
留まり留まり現れる
どっちも
どっち
春は花夏ほととぎす
今は秋

秋の野原に出かけよう
みんなでピクニックだ
ピクニックをやったら
ぼくは病没する


「アレクサンドリア図書館の跡に」

どうにも
ならない自分が
痛ましく
座っている
同情して貰いたくて
仕方がないのだ
汗をかいたら
救われるか
魂は
汗をかくだろうか
色々な
本がある
しかも良い本が
これらの本が
善意で無い筈などない
宝籤は
既に掌中にあるのだ
我々の遊びには
もう
札束を燃やす事しか
遺されていない



「くずのうた」

オレという
ぼやっとした唐揚げは
油が
ぽとりぽとりと
まだ滴っているから
キッチンタオルが必要だ
キッチンタオルとは
つまりはキッチンで使うタオルのこと
またの名を現代思想という
放屁のメカニズムに費やす生涯
ハナクソの成分分析に明け暮れる日々
毛穴にたまる黒ずみの再生記録
或いは
宇宙=おたんこなす
あぁ
萎びているよなにもかも
この何もかもがみっともなく
転がってるよそこここに
この紙面を
グイッと斜めや下や左や右やの方向に
無理やり捻じ曲げたり
推し広げたり裏返したり破り捨てたり
してみることぐらいしか
できないオレ
オレはこういう嫌な感覚を書くことで
オレの中にどんな清潔な風を興すのだ
そしてそれを世間に晒すことで
オレの中に
どんな新しい感情を投下するのだ
尽くすこと
し尽くすことをしている詩人やらがいる
そういう人達をオレはみた
その人達は猛毒の霧のなかをのたうち回りながら駆けずり回っていた
それでも自覚的に自らの臓物を解読していた
その人達が
少女と生理学と哀しみと聖餐と数限りない虚数論へ飛び込んでいった後姿をオレはみた
振り返らずその人達は走り続けた
疾い蛇のようだった
しかしオレはオレのやり方をしてしまう
オレのやり方とは
それは何か
それはオレの竦んだこの両脚を詩文で縛って滝に身を投げようすることだ
その滝は何か
滝は滝だろう
ただの滝だ
それを滝でなくもっと違った凄いものだという程にオレはくるってはいないだろう
滝がある
そこでオレの思考は停る
オレは
オレのこの有りようを分析すまい
詩文ですくい取り
ぱちゃぱちゃいうビニールプールや
死海や
エンケラドゥスの深層海に
放つまい
滝は
それは大したものでは無い
それを一言で言ってしまっても
世界はいっこうに困らない
キョトンとして
いつも世界はつまらなそうだ
やつは兎に角
困らない悩まない
オレはなんなのだ
オレという
この唐揚げは何なのだ
思考ではじまり
みにくく思考で終わるこのオレは
オレは
悪党にもなれない
勿論善人にも
なんにもなれぬ
こんなやつをいいあらわす言葉を
オレは標準語に見出さない
それは
こんな方言に還元される

すくだまったやつ

それが
オレだ
オレはまた書くしかない



「苦脳」

こんなことをしていてなにになる
なやんでいてなんになる
なにかになるとはかせぐこと
それに尽きる
働け
それだけだ
お前の人生は間違いだった
お前がもっとも憎んだ人のほうが正しい
お前は負けた
働こう
生きよう
いけない
そうやって意識を
なくしては
いけない、
お前は破滅してはならない
お前は働くんだ
なぜ?
お前は苦しむ為にうまれた
答えも何もない
絶望すらない
比喩もない
苦しみだけがある
働くんだ
それだけだ
死ぬな


「誇大妄想」

世界は
烈しく批判されたくて
仕方のない
顔をしている
けれども
ぼくは
半生な卵
液体でもなく
個体でもなく
じつに
傷みやすい
世界が
ぼくを食べて
お腹を下さないのは
それは
世界の便意が
もう百兆年ほど
先だからに
過ぎない
のだ





自由詩 秋風遁走曲 他四篇 Copyright 道草次郎 2020-09-16 20:03:57
notebook Home