破綻の只中で
道草次郎
それでもなお時計は刻まれる。打ち続く闇にとざされてもなお。
たくさんの詩を読むと目を見張る表現やその人なりの感性や生き様や哲学や苦しみをそこから少しだけ分けてもらえる気がする。ぼくはいつも感心し切って、ため息をつく。それから決まって卑屈な気持ちになる。
ぼくにはなんにもないな、と。
ぼくは自分の底が浅いのを隠したいけれども隠しようがない。曲がりなりにも詩を投稿してしまえば底がわれる。しかしぼくは卑怯だからそんな時はここはぼくのいるとこじゃないと思う。そして日常生活だけに邁進しようと思う。詩なんていうのはろくでなしのやることだと内心思って。
ぼくはなんてクズなんだろうか。
ぼくは野次馬根性のかたまりだ。
しかし多かれ少なかれここに詩を投稿している方々はそういう感情を持ち合わせているのかもしれない。ほんとうに言葉が好きか、もしくは自分にはそれしかないと思っている人でさえ自分のやっていることに疑いをもつことはあるはずだ。
だからぼくがここでこんな叫びをあげるなんてのは到底お笑いだろう。
言わずもがなのことをよく言ったもんだと。
ぼくはそれになんと答えていいかわからない。
なぜって今ぼくの頭はかなり回転が良くなくてお世辞にもある程度冷静な判断なり思考ができないでいるから。
でもこのどうしようもない何処へぶつければいいのか分からない衝動はたしかに厳然としてある。
だからこうして問いかけるしかない。
いまのぼくには。
この苦しさはしかし誰もが知っているはずだ。
ぼくがこうして破綻したぼく自身をさらすのはどうしてなのか。
ぼくはとにかく混乱のさ中にあるけれどそんなさ中にある者の問いなど意味をなさないのか。
それともこんな僕にも一条の光は与えらるのか。
世界はこの世界はぼくのようなものにも関心をはらうのだろうか。
それともこれはやっぱり何もかも幼稚で取るに取りない駄々っ子の戯言にすぎないのか。
誰か教えてくれないか。
これを散文として完結させるつもりはもうぼくにはないのだ。
破綻の只中においてなお何かしらの手応えをぼくは得られるのか。