稜線
山人

 網戸の向こうには、山岳の稜線と薄明るい空がはざかいを浮きだたせている。草むらではコオロギなどの虫の音が、凌ぎやすい朝のうちにと盛んに音を紡いでいる。朝の涼風が頬にあたり、ひさびさのインスタントコーヒーも美味く感じられる。そういえばここのところ、夜は月も出て昨日は家の前に小さな池の中に半月も映し出されていた。
 
 七月いっぱい続いた長雨と、八月初めのぐずついた天気の中、このまま夏は終わるのだろうか?と思わせた。しかし、夏はその後、長い蛹の期間を過ぎ、盆前頃から醜悪な成虫へと蛹の硬い殻をこじ開けたのである。長雨の中、ずっとその凶悪さを太らせ、頑強に育っていたのだ。
 盆明けから破間川の堤体を渡り、左岸林道の除伐作業に入った。里山とは言えないが、里山整備事業という名の森林整備の除伐作業である。ほぼブナの純林で、その下草(灌木)を刈り払う作業だ。
 盆明け初日は、炭材搬出のためにブナを伐採し、成形。翌十八日から刈り払い作業に入った。さほど悪い場所ではないと聞いていたが、四十五度を超す斜面もあり、足場を作りながらの刈り払い作業となるため体力を消耗してしまう。その足場の悪い中、ハチの営巣に遭遇することがある。午前中のそれはハチの何匹かを早めに発見し駆除したが、午後はまったく予期していなかった。
 三時休憩を終え、最後の詰めの刈払い作業にと少しピッチを上げ、平坦な場所の刈払いを行っていた。ユキツバキの低木を刈り払っていた時に、なんか動いているな、と感じたのだが、一歩非難が遅れ、肘の一部を刺された。ホソアシナガバチ系の比較的よく居るハチだが、毒素は軽い方だ。過去に何十匹のハチに刺さているが、刺された瞬間のあの、やられた!感は相当精神的に参る。
 二〇日、里山整備事業を一旦中断し、数年前にブナの稚樹を植え付けた個所と、昨年植えた個所の二ヵ所の稚樹周辺の刈払いを実施した。数年前の場所は平坦な場所も多く、作業はしやすいが、湿地の部分もあり、かなり枯れたものが多い。拠って気楽に誤伐の心配はなく刈ることができた。午後未明より、昨年植え付けた場所に移動。ここはもともとの天然地形のため、起伏が多く、作業しにくい。加えて、下草は伸び、ブナの稚樹の中間部分に目印の赤テープが巻かれているのだが、それすらも埋もれてまったく見えないことが多い。およそ二メートル四方に植え付けられているのでおよその目安は付くが、平坦な場所ではないため、その間隔は実にアバウトである。炎天の中、誤伐せぬようにと気を配りつつも、やはり結構な誤伐があった。
 二十一日、二十二日は、単独請負の古道及び古道に至るまでの元林道の除草作業に明け暮れた。盆の十五日から実施しているのだが、今年は旧林道の除草を広く刈ったため、手間取っていた。
 二十一日、古道の分岐で昼食を摂り、木の根峠方面を刈り始めたが、クロバナヒキオコシという草などが繁茂し、道であったであろう場所がほぼわからない。だいたいの位置関係がわかっているので、さほど苦労はしなかったが、歩いたことがない人が踏み入ることは無理であろうと思う。分岐まで着き、刈り払い機をデポ。翌日もその場所から続きを行うも、目標も鞍掛峠までは至ることは不可能と考え、午後二時過ぎに作業をやめ帰路に着いた。
 この頃からであろうか、脈抜け(期外収取不整脈)が頻発し、作業中よく発症した。四月末の心房細動の術後、特に脈抜けパターンの不整脈が多くなっている気がするのだが、ここにきて暑さが激化し、負担が増しているのだろうか。その不安に駆られながらも作業を続けた。
 疲れも癒えぬ間に月曜日は訪れ、この日はブナの百年生森林の毎木調査であった。私は樹高測定の一〇メートル伸縮式棒を持ち、用材に使用できる部分の幹長をはかる役目だった。樹林帯ですべて日陰だったが、風はなく蒸した。
 二十二日朝、皮膚の異様な痒さで目覚めた。見てみるとあちこち赤く粒々が出来ていて、ひどい痒みだ。局所的な痒みの掻きむしり行為は快感ですらあるが、いたるところが痒いのは苦痛でもあり、さすがに夕方皮膚科クリニックを受診。医師によると、蛾(現在は毛虫)の類の棘が風で飛んできたりして衣服に付着してもそういう症状になるのだという。あとで調べるとチャドクガの幼虫のようだった。今年のような雨天が長く続いた年には大発生を見るとのこと。同僚も同じ症状となり、痒くてたまらないと言っていた。
 体調の悪さに加え、毒蛾とハチ、そして命の危険のある暑さの中での労働である。そんな中、最低限トラブルは避けたい。熱中症予防の水のほか塩分補給の梅干しとレモン水。ハチに刺された時に塗るキンカン。このキンカンは、ハチなどに刺されなくても休憩時間にそこら中に塗りたくれば熱を奪い、体温が一時的に下がる。激暑での疲労にレモン水は美味いとすら思える。 
 ハチや毒虫、暑さ。そして勝手気ままに鼓動を打つこの臓器。その中で考えるのは、体あってのすべてだという事だ。この一週間、体調と折り合いをつけてこなしてきた作業だが、さすがに明日は休もうと思う。若い、毒気の無い、サラリとした主治医の前に座り、私は切々とこの不調を訴えることができるだろうか。
 皮肉にも今は平穏に鼓動を打つ臓器である。網戸の向こうの稜線は今日の朝方のように鮮やかだ。


散文(批評随筆小説等) 稜線 Copyright 山人 2020-08-27 18:04:32
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