記憶から
道草次郎
自分の歩んできた人生なんてゴミみたいなものの寄せ集めだなんて思っていても、記憶の海の底に懐中電灯をかざしてみればそうとも言い切れない事に気付かされることがある。
近所にTくんという子がいた。ぼくよりも四歳年上で小さい頃からすごく背が高かった。Tくんは幼い時に何かの病気にかかり脳に少しの痛手を負っていた。同学年の他の子供より奇妙に高身長で顔付きもどこか違うところがあった。
小学生の時は登校班が一緒だった事もあり、TくんとTくんの弟と一緒に歩いて学校へ通った。T君は当時のぼくにとっては四歳も年上の大きいお兄さんだったが、一方では大人達からT君の事情は聞いていた。だから、子供ながらにもT君とは一定の距離を保とうとしていた記憶がある。
Tくんは同じ町の不良と呼ばれるような子と付き合っていた。その子がBB弾で猫や犬をいじめた事がPTAで問題になった時などには、T君もそれに加担したのではないかという疑惑が持ち上がった事もある。そうした経緯を知っていたからか、子供の頃のぼくはT君に対してどこか恐いイメージを持っていた。
二十六歳の頃、ぼくは社会の何もかもが怖くて実家に半分引きこもっていた。そんなある日、大人になったT君が突然家にやってきた事があった。T君はお父さんの家業である土木工事の手伝いをしており、その日も何かの用で我が家を訪ねてきた様子だった。それはちょうど我が家が建て替えの真っ最中で、敷地の隅にある離れでの生活を余儀なくされていた時の事だった。したがって玄関というものがなく、来客がある時は、勝手口のような狭いドアを開けてそれを迎えねばならなかった。
その日もノックの音がしたので急いでドアを開けてみると、訪ねて来たT君が窮屈そうに立っていた。T君は昔とちっとも変わらない顔をしてこちらを見ていた。そして、いきなり何を言うかと思えば「おい、J。なんで畑やんないんだ。もったいねえだろ」と、笑われた。T君は昔からその瞬間に思った事をストレートに言ってしまう人だった。ぼくはこの幼なじみがあたかも昨日会ったばかりという態度で自分に話し掛けてくるのを、すごく不思議は気持ちで聞いていた。小学生だったのは、ほんの昨日の事じゃないかとT君の目は言っている様だった。
それから、大人になったT君の顔を見て強く感じた事がある。それは、この人はこんなにも幼い顔をしていたのかという素朴な発見だった。その時に感じたショックを後日、母に話したところ、母はなぜ今までそう思わなかったのかと少し怪訝そうな顔をした。T君が小学校を卒業してからというもの、まったくと言って良いほど彼の消息を知らなかったのだからそれは当然の事なのかも知れない。
離れの狭いドアの前でT君は何の遠慮もせず、ぼくに向かってズケズケと質問をした。どんな質問をされたかはそのほとんどが記憶に乏しいが、質問しているT君はどこまでも子供の頃一緒に登校していたあのT君のままだった。ぼくは顔にこそ出さなかったが、かなり狼狽していたと思う。ドアを開けると、いきなりそこに、自分の子供時代が立っていたという経験はそうそうあるものではない。
最後にT君はこう言った。「J、お前人格変わったなあ」ぼくは頭をガーンと叩かれた気がした。それまでにガーンと叩かれたのは、父の癌がステージの末期であることを母から知らされた時と、その母が父と同じ病気になったのを知った時の二回だけだ。その後、T君は何事もなかったかの様にぶらっと帰っていったが、今思うと、ぼくにとってその日はたいへん意味のある日だったと言わざるを得ない。
ときに人は、自分には計り知れない何か大きな力が存在している事に気付かされることがある。それが神による布石なのか、何なのかは判らないが、少なくともぼくにとって、それは確かな実感を持って存在している。そんな事を図らずも考えさせられた出来事が、T君との再会だった。
「じゃあな」そう言って去って行ったT君の後ろ姿を思い出すたび、なぜかぼくは、少しだけ自分の人生を遼くから眺められるような気がしてくるのだった。