メモ
はるな


書くことは思考を連れてくるから、たちどまってはいけないのだ。
季節や天気のせいにした動かない体を冷やして、信号を入力する。

花のことから書こうと思う。
ま夏の花びらたちのこと。さえた緑の枝葉のこと。力強くたちあがる香りのこと。
紅花、瑠璃玉あざみ、向日葵に竜胆、様ざまな蘭たち、クルクマ、アンスリウム。
送り火を終えて秋を呼ぶ千日紅、熟れた実を潰して笑う山ごぼう。
これむかし、プールサイドに成っていました。紅いのは取り合いで、背の高い子 声のおおきい子がみんなとっちゃうの。学年ごとに決められた色の水泳帽、紺色の水着、ざりざりしたコンクリートに温んだ水がかかって気持ちが悪かった。でも、少なくともうんざりはしていなかった。夏が暑いことにも、生きていくことにも。記憶はじっとり濡れていて、とても本当ではないみたいに遠い、(昨日みたいに)。

物事は遠近感を欠いて、昨日と去年、2年前と25年前が同じ場所にある。
娘が生まれてからと、わたしが娘くらいだったころ。
明日も5年後も同じように遠く、想像できない。
時間は伸びたり縮んだりするけれど、どちらにしろこぼれおちていく。(そして平らかになる)。
真夏、カーテンのレース模様は濃く濃く映って、日にささくれた窓辺の写真を何枚も撮った。たぶん、15年前のきょう。夏のプール教室、帰りの下着を忘れてしまって、すうすうした気持ちで帰った。たぶん、25年前のあした。毎日ひとつずつ詩を書きなさい、と母が言うのでそうした。1日いちまいずつ渡される、なめらかな白い厚紙。夏休みの最後の日に、母はそれを黒い紐で綴じてくれたよね、と話したのが4年前、「そんなこと、したかどうか、ひとつも覚えていないわ」と笑った母の白い髪。

「ねーまま、よんさいの頃のお弁当の、あま〜いぽろぽろのたまごがたべたい。」というむすめに炒り卵を作ってたべさせる。妙な顔をしてるむすめにどうしたのと問うと「あのね。。おいしいけど、よんさいのころとはちょっとちがうみたいかなー」それは、どう違うの?
うーん。
「はなが、ろくさいになったからちがうのかな。」

それでも、たちどまってはいけないのだ。

いろんな手から、お金をうけとる。
おおきい手からちいさい手、ひらたくて涼しげな手や分厚く力強い手。細い指、太い指、さまざまな長さの、さまざまな色の、まっすぐや、まがっていたりや、皺皺だったりつるりとしていたり。おばあさんやおじいさんの手はすこし震えてやさしい。そうっと、祈るように見えることもある。「ごめんなさいね」と言いながら、ゆっくり、いちまいずつ出される硬貨の鈍い光を数える時間が、わたしは好きだ。
してあげたこと、ひとつひとつ執念深く数えるより、「ひとつも覚えていないわ。」と笑う言葉のなかに修羅が住んでる。過ぎたこと同じように遠く、それでいてくっきりとかなしい。それらが刻まれて、刻まれて、わたしの手のふるえもいつかもっと優しくなりますように、なりますようにね。と思うとき、指先は冷えて、やっとすこし眠い。




散文(批評随筆小説等) メモ Copyright はるな 2020-08-18 00:17:08
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