イザベラのこと 5
ジム・プリマス
イザベラの瞳は大きくて、最初に会った時から、それがとても印象的で、そこが魅力的だった。その瞳で真っすぐに見つめられると、僕は身体が透明に透けて、精神の奥底まで透けて見えるのではないかと、不安を感じるくらいだった。この人の前では嘘は通用しない。彼女に見つめられるたびに、僕はいつもそう思った。
見つめ返してもイザベラは少しも目をそらさず、その瞳の底には、偽りの入り込む隙のない、大きくて柔らかくて温かな愛が満ちていた。それは僕にとっては、思いがけもしなかったキリスト教的救い(愛による癒し)の訪れだった。
僕の精神は声にならない悲鳴をあげていたのだと思う。それまでの僕は、求めても、求めても、愛が見つけられず、かたっぽだけの精神で、彷徨いつづけていた。イザベラと出会って初めて、その寂しさ、その悲しみ、そのイタミ、から解き放たれて、僕の精神は子供のころのように、柔らかくて、まんまるで、傷一つない、まっさらのままに、ゆっくりと、だけど、とどめなく、還元されてゆくのだった。
日本から遠く離れた、最果ての河北の地で、ようやく僕は紛れのない愛を、イザベラの瞳の底に見出したのだった。これが運命だとすると、僕はなんて幸運だったのだろう。けっこうな時間が流れた、今でも、僕はそう思い続けている。この想いはこれからも変わることはないだろう。
イザベラから愛された記憶は、今も僕を守り続けている。それは僕からイタミや悲しみを遠ざけ、生きてゆくために必要な勇気を与え続けている。