出帆
道草次郎

くらしがある
声がある
間違いがあって
また
肉となる


ああ
時は 風
命ずるままの色彩だ
こんなにもみごとな
朽ちかけた櫂があれば
まるで銀河の河は
珪素を孕んだ大海嘯だ
おれはぽつねん
思想の森の上にうかんでいる
踏みしだかれた石蕗の
あざとい黄花が波に掬われ
轟くように哄笑っている
博物学の透明な希求は
夜汽車の真空管をとおってやって来る
丸眼鏡の五月雨めいたさびしさは
意識をもった銅硫黄の石となる
この消し炭のような孤独が
おれとおれの生活の伽藍堂に砕けちり
神経質な工場群を形成するならば
空無はいちめんに満ち霞んだ沙霧を拵えるだろう
清楚と風とが幼女の脾臓で
たとえば破滅と昵懇となるならば
なるほど凡ては
たしかに虚無の相似系であるに相違ない
すくなくとも
シンフォニカルな経験の
そのいたって均質な焔を揺らめきのうちにだけ
この明滅と光明とはくりひろげられる
やがては一個の敬虔な馬が
宇宙一面に巨きな苦瓜の花を咲かすこともあるだろう

(こんなうららかな午後はみんな
つぎの世界へと恃むため
戸隠神社のむかしから聖ら
かと云われているあの巨杉
の奥社に液体となってい
ってしまった)

たしかにそうなのだ
おれたちはけわしく本当になろう
もうじき明ける夜のかがやく方角へ
おれたちの暗い水を
そのあと先をしらずに真青に流そう







自由詩 出帆 Copyright 道草次郎 2020-08-09 12:41:23
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