19歳の不安
七尾きよし
しわがれた老人の声が低く響き、それに続いて男と女の声が虚ろに空間の中に広がる。冷たく、そして何もなく、暗闇に包まれた空間。そこに起こる物音はすべて柔らかな海綿に沁み入るように、だんだんとその質量を失っていく。在るのは男の声、女の声、そしてかすれ、断続的な響きをもつ老人の声。
老人はそのしわがれた声で言う。
「不安とは・・・・・・」
そして瞬時にその声は消え、次にどこからか男の声がする。男の声は恐怖におののき、いや、何か分からないものに対しておののく。男は女に向かって言う。
「青白い顔をした男がにやりと笑って手まねきして誘うんだ おいでって・・・・・・」
「俺、はたちになれないんだ」
女「どうして」
「誰かが言ったんだ胸の中からぎゅるぎゅるこみ上げてくるもわとした渦渦ん中で・・・・・・・・・」
男の声はさみしく、弱く、ただ響く。 その声は誰に向けられたものか。 その声はどこへも行かない。 行きどころのない声。 男の声はただ響く。
「さよなら。 ・・・・・・・・・・・・悲しい? 分からない。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ううん嫌だ。暗いところへ行くのは・・・・・・・・・・・・」
男の声は誰かに請う。 女に対して、家族に対して、友に? 分からない。
「今日だけは一人にしないで・・・・・・明日になるまで俺を抱きしめてて・・・・・・・・・。 お願い。君を愛してる。何の疑いもなく・・・・・・・・・・・・なんで死ななきゃいけないんだ。俺だけ 一人ぼっちで・・・・・・・・・・・・・・・」
男の声は最初から何も存在しなかったかのように消える。 男の声が空間に残した余韻さえもはやないのだ。 彼が何を求め何を訴えたかったのかは分からない。 誰にも知る由のないことだ。
しばらくの沈黙ののちに再び老人がのどをふるわすように声を発する。 またもそのしわがれ細った声は瞬時に姿を消す。
「不安とは…・・・」
続いてやはり男と女の声がし、再び繰り返す。
「青白い顔をした男がにやりと笑って手まねきして誘うんだ。おいでって・・・・・・・・・」
俺、はたちになれないんだ」
女「どうして」
「誰かが言ったんだ胸の中からぎゅるぎゅるこみ上げてくるもわとした渦渦ん中で・・・・・・・・・」
「さよなら。 悲しい? 分からない。 ううん嫌だ。 暗いところへ行くのは・・・・・・・・・」
「今日だけは一人にしないで 明日になるまで俺を抱きしめてて お願い 君を愛してる何の疑いもなく なんで死ななきゃいけないんだ 俺だけ 一人ぼっちで・・・・・・」
男の声が消え、しばらくの沈黙が空間を埋め、思い出したかのように老人の声はまたも続ける。
「不安とは・・・・・・」
そして男の声が青白い顔をした男がにやりと笑って・・・と続ける。 女はどうしてと言い、男はさよならと言う。 すべてが一とおり行われるとまた老人の声が不安とは・・・・・・と繰り返す。 男がにやりと笑って、どうして、悲しい? 一人にしないで 不安とは・・・ 嫌だ! 君を愛してる 一人ぼっちで・・・ 不安とは・・・・・・。老人のしわがれた声が男の虚ろな声が女の無関心な声が男の絶望が交錯し、お互いの領域を侵害しだし、すべて溶解し境界が不明確になる。 老人は老人であり男は男であり、同時に老人は男であり、男が老人となる。
世界は混濁とし、男の声が歪み、老人の声が歪み、男は叫ぶ。
「助けて!」