ルート19号の幻想
道草次郎

松本へ行く道すがら、ルート19号のダム湖を取り巻く緩やかなカーブに沿って、ぼくは軽自動車を走らせていた。流しっぱなしのYouTubeからは尾崎豊の『15の夜』が流れ出す。なんてこった。またなんでこの曲なんだって思ったりして。アクセルを踏む。

法定速度をわずかに上回るスピードのまま、七二会(なにあい)という交差点近くを通り過ぎた時、ふと頭上に目を遣ると、そこには先だってからの豪雨によるものなのか、竹のような丈高い樹々が互いに交差をしながらそのこうべを不自然に垂らしていた。



十五の時、ぼくは不登校児だった。

ぼくみたいな子供が何人か通うことのできる一室が校舎の片隅にあり、そこは中間教室と呼ばれていたけれど、十五のぼくはその一隅で文語体で書かれた『旧約聖書』の天地創造の部分だけをノートに丸写ししていた。

さっきも言ったけれどぼくは不登校児で、自律神経失調症で、デブで、どこかお調子者で、ちょっとだけ猫の毛アレルギーをもっていた。


なんだろう、この記憶の流れ出しは。思い出の毛糸で編んだセーターの一箇所にちょこっと飛び出ている記憶があって、それを引っ張っると、百均で売ってる万国旗みたいな害の無い混沌が溢れ出してくる



中間教室には、他の学校からも何人か生徒が顔を見せていた。

覚えてるのは暗い顔をした女の子。その子はもう一人の女友達といつも一緒にいたけれど、僕が初めてその部屋に来た時はうつむきながら給食を食べていた。その子と特別何かあったわけでもないのに、僕はたしか日記にその子の苗字に「さん」を添えて、ありがとうと書いた記憶がある。しかもエクスクラメーション・マーク付きで。

それから、同い年なのに身長が180センチ以上もある男の子。空手で県三位の成績を収めたとかいう伝説の男の子。彼とは少しだけ話をするようになったので、ある日、人気(ひとけ)のない午後2時半のグラウンドでキャッチボールをした事があった。ソフトボールしかなかったので、その時はソフトボールで。ぼくはソフトボールをこんなにも速く投げる人を知らなかったし、こんなにも速く投げられたソフトボールをどうしていいか分からず、捕球にすら凄くあたふたした。内心恐くて逃げ出したかったのをよく覚えている。でも彼が受話器をとって誰かと話しているのをこっそり見た時、その様子はまるで入社3年目のセールスマンといった風情だった。それがやけに印象に残っている。彼の事をもっと分かろうとしなかったのは、かなりの過ちだった気がする。

ぼくはもうすっかり歳を食ったわけではないけれど、若いというわけでもないので、隠し事をしてもあまり意味がないと思うな…


十五の時、ぼくはもちろん童貞で、ヒットソングが恋愛曲ばかりなのが不満で、顔見知りの同級生とすれ違う時は必ずと言っていいほど深刻だった。春に会った友達は、久しぶりに会うと決まって暗い顔の背の高い人になっており、僕は取り残された草食動物さながらツンドラみたいな原っぱに立ちつくすしかなかった。

中二の夏から中学校に行けなくなった僕は、いっとき中間教室へ通ったりはしたものの、卒業式には出席できなかった。卒業式では、ぼくが臆面もなく提出した「卒業式に出られない苦しさについて」という文章が代読されたらしい。僕はたまたまそれをモスバーガーでバイトをしていた同級生から聞いた。

そんな風に、ぼくの十五は、もちろん盗んだバイクや反抗とは程遠く過ぎて行った。

その後、ぼくは、沢山の集団に於いて幾人かの人たちとたぶん人並みにまみえたけれど、適応する事がうまくできなかったように思う。

時には馬鹿みたいに深夜の県道を走ってみたり、ボランティアの大学生に自作の詩なんかを朗読したり、女の子を部屋に誘うチャンスを逃して倫理学の本を図書館に借りに行ったり、セブンイレブンに落ちたり、成り上がりの就活マネージャーの若い男を嫌いになったり、炎天下で脱水症になったり、地球サークルという子供の発達支援のキャンプに挫折したり、男友達の四畳半の部屋で星新一の短編を読んで一日過ごしたり、絶望したり、こっそり自慰をしたりまたそれに飽きたり、ほとんど思い出という思い出を思い出す術すら知らず、失職と面接と残高に怯えてきた。ごく最近では強制執行というワードが影のように背後に付きまとっていたりしている。


『15の夜』。図らずも泣いた自分が別段可笑しいとも思わない。目尻を薬指でサッと拭ってすぐさま何事もなかった事にできる。

ぼくはとてもとても長いまわり道をして来たように思う。名もないダム湖の緩やか過ぎるカーブのように、ぼくは誰よりも遅く辿り着こうとするランナーみたいだ。


ところで中間教室で僕が写すのを躊躇った文語体で書かれた『旧約聖書』の残りの部分であるが、マタイ伝だけでも良いからもう一度読み直すことはかなわないだろうか。年月は、マタイ伝が一番読みやすい事をぼくに教えてくれたから。

多くは、もう望まない。身の程に応じて続きを、続けたいだけなのだ。

さて、なんだかもう色々な感情や企てで頭の中がぐちゃぐちゃだ。取り留めなく浮かんだ些末な事どもがてんでバラバラに今日というテーブルに散らばっている。そうだ。ここに、連関による感動は見いだせない。今はただつらつらと、心に浮かぶ消えそうな断片を拾い集めているだけかもしれない。

このまま行けば、松本へは何時に到着するだろう。

ご丁寧にもナビが、継続運転時間が90分に差し掛かった事を伝えてきた。一昨日から36時間が経過した中での唯一の気遣いがAIからとは。

もちろん休息はしない。
そう。
休息は、まだしないんだ。

『15の夜』を聴きながら軽自動車を飛ばすぼくは、まだ終わらないダム湖のカーブの向こう側へ辿り着こうとしているのだから。












散文(批評随筆小説等) ルート19号の幻想 Copyright 道草次郎 2020-07-20 00:40:30
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