「美道具」醜い器
アラガイs


小市民である人々が規律を破るのは致し方ないことである。全体に及ぼす規律の影響よりも、あくまでも個人の利得を優先させたいのである。そのような過ちを繰り返すことによって処罰もまた厳格化されるのであろう。 器に貼られた禁句。その中身を腐らせてはならないのだ。  by 多児真晴


すぐ脇にある共同の洗濯場に通うのには1マイルほど鉄線に沿って歩いて行かなければならない。なぜならばその有刺鉄線の囲いの中は底の深い危険な沼地だからだ。ただ扉がある場所に鍵は掛かっていなかった。中の茂みに入ればそこには幅3メートルほどの距離を渡るための板がそっと立て掛けられてある。もちろん普段から板は掛けられてはいない。表には立ち入り禁止の札も括り付けられてある。誤って沼に落ちたその犠牲者の骸は永久に回収されることもない。これはずっと昔から言い伝えられてきた伝説であった。
そんなわけで、この地の少数の人々は規律を守りちゃんと迂回して歩いて行くのだが、ただ一人、この沼地を管理するわたしだけは例外の範疇だと手前勝手に解釈をしていた。深夜こっそりと洗濯に向かう。できるだけ廻りには気づかれないように、人々が寝入るそのときを見計らって出向いていく。眠気を我慢するのだ。それくらい気を使うのは、この禁則を犯す行為からして当然だろう。

沼地に沿って左手側にある養鶏場の番屋には新しい住人が移り住んでいた。小さな小屋には老婆が一人、二部屋ある小屋の方にはその親戚の一員らしい中年の夫婦が移り住みそこで働いていた。
一人暮らしの老婆は何をすることもなくその生活は謎である。年金で暮らしているのだろうか、身なりからして得体の知れない老婆の容貌ではあったが、話しをしてみればさほど気にするほどでもない。しかしわたしから見れば決して印象がよいとは言えない風貌の持ち主ではある。時折薄笑いに捩れる口元の皺と鈍く光を発する目線。この辺りでは見かけない暗い蔓柄のショールをひきづるように、O脚に開いた小幅で素早く歩く。それが顔の皺をいっそうと不気味にちらつかせ、酷く気にはなっていた。
ある晩わたしはいつものように洗濯場に向かうため深夜こっそりと沼地に入っていった。扉を開いたときに少し気になったのは番屋から誰か覗っている。薄気味のわるい蝋燭の灯りが見えたときだった。そして立てかけてあるはずの板がない。いまではわたしだけが権利を有している、この底なし沼地を渡るための長い板が‥。懐中電灯で辺りを見回してみれば、驚いたことに少し左側にずれて沼に掛けられてあったのだ。ふん、誰の仕業か、すぐに見当はついた。夜遅く何度となく老婆とは出くわしていたのだ。


特に寝付きのわるかった朝などには目の前の鏡と対面するのが怖い。
歯を磨く度に気になる痛みと黄ばみ。皺に寄せて肌の張りもよくない。よくないのは年のせいだとしても、瞬きをする眼。その眼姿が腐りかけの葉物のように畑で萎えている。まるで死ビトのような眼ツキ。明日にでも死亡通知が渡されるのではないか。
遊びに来た甥や子供たちと一緒に写るときの笑顔、素肌。取り返すことができない浪費と時間。そして蘇る。あのときの萎え葉は厳格にしかも正直に鏡の中では反映されるのだ。  貧しく醜いのか、否そうではない。どんな物だろうと長い年月を風雨に曝されてしまえば朽ち果ててしまう。そういうものだろう。
特に寒冷も厳しい僻地の谷間、アタリもキツければキツいほど元々の姿は容易には保てない。人間や動物もそれと同じさ。心が貧しいのは経済的な理由だけではないだろう? 醜い生活に慣れてしまったからさ。 異界。悪魔の居場所だね、それは。   詩界。天使の鳩尾を写す鏡。 それは子供たちだけが手にできる魔法の「道具」なのさ。












自由詩 「美道具」醜い器 Copyright アラガイs 2020-07-15 01:21:27
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