湯豆腐
墨晶

 
          掌編

 夜、蚊取り線香の匂いがする路地を歩き、近所のスーパーマーケットまで焼酎を買いに出かけた。
 店内の豆腐売り場で、五年前死んだ友人のコバヤシが身を屈め、神妙な横顔で木綿豆腐を吟味しては傍らの籠に放り込んでいた。
「コバヤシ・・」
 オレの声に僅かに驚いたように顔を上げたコバヤシは、暫くオレが誰なのかわからないようだったが、
「アハハハッ! あれ、元気? 何だよ、そのアタマ!」
 と、オレの両肩を覆うほど伸ばし放題の白髪混じりの蓬髪を笑った。
「キリストの真似か?」
 と、云うので、
「オマエさんも復活しちゃったのか」と云うと、
「・・・・・え?」と云う。
 コバヤシの籠には六丁の木綿豆腐のパックがドサドサと入っていた。
「そんなに豆腐、どうすんだ?」
「あー、湯豆腐」
「・・夏だぞ」
「おい、変なこと云うなよ。湯豆腐は好物だ」
 〈湯豆腐〉と〈夏〉と云う概念同士の接続によって作動するものがあるとすれば、私にとってそれは未知だが、それは当たり前のものなのだろうか? また、生前、コバヤシの食い物に関する嗜好を聞いた事は皆無だったが、〈コバヤシの湯豆腐好き〉は公然の事実でオレが無知なだけ故にオレの発言は〈変〉なのだろうか?
 煙草を吸いまくり、濃い珈琲とヴォトカをガブ飲みし、ただピアノを弾くだけの為に生きていた男に、
「オマエさん、とっくに死んじゃってるんだぜ」
 と、云おうと思ったが、止めた。云ったところでこの男は、
「そうか?」としか云わなかっただろうからだ。
「湯豆腐、何処で喰うんだ?」
「え? 家だよ」
 オレは暫く返答に窮していると、コバヤシが
「オレ、変なこと云ってるか?」
 と、云ってきた。だからオレは、
「いや、大して変じゃない」と云い、
「柚子胡椒あるか? 無いなら買えよ」と付け加えた。


                    了
 
 
 


散文(批評随筆小説等) 湯豆腐 Copyright 墨晶 2020-07-13 21:24:56
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