冒険
タオル


『これはそんじょそこらの百貨店には売ってない。』と、
いかにも百円な感じのスコップを持って断言する
大きなサングラスをかけた男の人が立っていて、
変わった人だなあと感想を抱いた。
この人どこかで会ったっけ、精神病院かなあと少々胡乱なことを思いつつ、
じっと見つめてたら、背後はファイルや書類らしきものの散乱したオフィスの廃墟で、
窓の向こうには蔦の絡まった給水塔が寡黙に佇んでいる。
夏のような気配、でも春のはじまりにも似た陽気で、あと数歩踏み出せばその光を浴びることができるけど、なんだかそうしないでその人の言葉をじっと聞いたままでいる。
『うちの百貨店にしか置いてない。』と、
そのひとは昭和でしかお目にかかったことがない、キャタピラー風のベルトの腕時計を自分の左手首に巻きつけているにも関わらず、事務机の上には小ぶりのノートパソコンがあって、画面には自分の百貨店の中らしい、婦人服やバッグ、かごに詰められた明るいオレンジ色のパン、人々がぽつぽつ乗っているエスカレーターなどの画像が簡素な紹介文とともに映しだされていた。
かってに『自分の店』と思いこんでいるだけの可能性が高いが、
わたしはまるで疑ってなどいないかのように、『そうですかー』と素直なまっすぐな声で返事をした。
そして急にわかった。
わかりすぎて、目ざめそうになった。
このひととは初対面だ。
それも「夢の中限定」の人だ。
急に気がついてびっくりした。
なんだかこのひとが凄く面白い人に思えてしょうがなくなり、このひととどこか冒険へ行きたいと妙に切実な、願うような気持になり、伝えたらどうなるだろうとかまで思った。でも声にはださずこらえた。
カチャカチャカチャとやや執拗に人差し指でマウスを叩いているが、画面は無慈悲に固まったままだ。どのみち、それ以上の画像も情報も要るように思えなかった。
そのひとがパソコンの画面のほうを向いたまま、うすく笑った(気がする。)
気がつけば、スコップはもうどこかに失なわれていた。
『散歩に行きますか?  目ざめるかもしれないですけど。』
わたしは用心しいしい小声で言ってみた。誘うような素振りを消しているつもりだった。
そのひとは初めて会ったときと全く変わらぬふてぶてしく、そして胡乱なひとらしいズレた態度のまま、『ええ。』とだけ言い、立ち上がった。
パソコンの画面を消すことすらせず、否、反応しなかったのだからそのままにするしか方法がないのだろう。
そのひとが座っていた椅子がぎいっと鳴りひびく。廃墟のようなオフィスに。
そのひとは室内なのにサングラスをかけていた、そのことがあまりよろしくない印象を私に与えたのだ。
くだらない。

ふたりは外へ出た。
ビルの前は水をたっぷりかけられ黒々と湿ったアスファルトと、運転手のいない配送車が一台、ビル側に傾いて停まっていた。そこにさんさんと低い角度から降り注ぐ陽の光、思ったより夕方に近い、雨上がりとかではなかった、理由はたぶん暑いからだれか撒いた、それだけだ。
ふたりは黙って真剣にあるいた。これが散歩であることを忘れるくらい一心に。
これが、どんなことになるのかわからない、
どんな道につながるのかもわからない、
散歩を超えた、求道的ですらある何か。
もし似ているものがあるとすれば、『お遍路』なんだろうか。

やがてわたしたちのまえに坂が現れ、わたしたちはまた黙って淡々と進んでゆき、ほどなく頂上にたどり着いた。大きな橋が視界の果てにある森に向かって伸ばされていた。橋の下はこれまた相当幅広い川がゆったりと流れているようだった。
『これから僕らはあの森へ冒険にいくと思う。』
先刻、マウスを執拗に叩いていた指のさきで小さく光る緑色を差しながらそのひとが言った。
わたしはぞわっとした、これからずっとこのひとと冒険しつづける、そういう人生だと。
『でも僕は、童貞なんで。あなたも巻きこまれて、処女のままです。
そういう対称なので、僕らはずっとそう、子どもの時のようなまんま、
決して男女の関係、体の関係など持たず、ただ一緒にいて楽しいと思いながらずっと冒険し続けます、
あのエメラルド色の森に向かって。』

わたしは少し涙ぐみそうになりながら力強くうなづいた。



ゆるやかな坂からふたりは流れ落ちる。
わたしのまぶたはしぜんと閉じられる。
そしてどうでもいい事を思い浮かべてしまう。

あの事務机の上にはいまもどこかの百貨店を映し出したまま時を止めたパソコンがあるのだろうか、
いかにも百円のスコップも床のどこかに転がったままあるのだろうか、と。















自由詩 冒険 Copyright タオル 2020-07-12 22:17:44
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