エルベレス
竜門勇気

どれだけ沢山の人が報われず死んだか
そういった話題を君は好んだ
死の間際、彼らが何を望んだのかはわからない
君が好む思考実験にあえて臨む
これが日曜の過ごし方

木の椅子に浅く腰掛けて
爪切りの中身をひっくり返してた
厚くなった指先の皮
なぜか気になっていじくり回していた
二人の間にはそれぞれ
コーヒーカップに入った水がある
食事の後は薬を飲む
あたりまえだろ
当たり前の二人でいるためにそうしている

二人の間にカップと蛾の死骸が転がっている
不思議だろ、僕は言った
空っぽの薬の容れ物をつまんで床に落とした
不思議、と君は言った
不思議。と僕は言った
二人で笑った

真夜中の内側でも
時計がどうあろうとも
僕らは日曜日の中で生き続ける
二人の間に冷めた水が置かれている
どうやって生きてきたのか
どんな傷がここまで歩かせてきたのか

痛みがにこやかに踵を打った
立ち止まれない
僕が通り過ぎる姿を
驚いたように
少し笑うように
声をかける人々の
面影と手をつないで
追いすがる痛みは
きっと僕が産んだいつかの僕だ

僕は痛みに怯え
傷に悲鳴を上げて
この部屋に来た
僕らは終わりの日まで
日曜日の終わりまでここにいる
コーヒーカップになみなみ
カルキくさい水を飲んだ
驚いて声をたてる
コーヒーカップってこんなに
こんなに柔らかったんだ!

君も少し笑ったあと言った
この虫はね、ホタルガっていうの
次は、どんなふうに見つけようか?
蛾の死骸は少し乱れた羽を撫でられて
面食らったように見える
羽にある白いV字に触れないように
やさしい愛撫
狂った時計をながめている
時間なんてここにはない

コーヒーカップの中に
傘のない電灯がうつっていて
ホタルガはなんだか甘い匂いがするような
華奢な鱗粉を白い机や
淡い爪に少しだけ任せてただ死んでいる
コーヒーカップの中で
何かが揺れる音だけが
猶予をくれる

外見が違えば私達はきっと
明日から他人になれる
外で金木犀が、しゃき、しゃきと鳴る
毎朝見かける大きな芋虫が
果てしない夢を見る音だ
世界に君が食えないものなんてない
満腹なんかないし時間なんかも関係ない
今日と明日を続けてればきっと
どんな類の空白も過去になるんだ
振り返って満足しておしまいさ

外見が違えば私達はきっと
明日から知らない顔をして暮らしていく
君は念を押すようにつぶやく
窓からしゃき、しゃき
大きな芋虫は無心に一枚の葉っぱをかじる

明日、私達はきっと何も思い出せない

しゃき、しゃき

僕は思い出せないなにかのことを
ずっと考えるよ

しゃき、しゃき

コーヒーカップのなかで
一口残された水みたいに
何もかもが答えみたいに振る舞う

どのドアにも、窓にも、引き出しのただ一つにすら鍵はかかっていない
どこからでも出ていけばいい

美しいものすらここには入れない
僕らであることだけでここは聖域になっている
神様も好き勝手にできない
僕らであることだけ
それだけの場所だ


自由詩 エルベレス Copyright 竜門勇気 2020-06-16 01:54:39
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