鏡
こたきひろし
嫁入り道具の鏡は夫婦の寝室の隅で埃を被っている。
女がもっぱら使うのは手鏡
手鏡に写すのは何も首から上ばかりじゃなかった
時には股間の様子も鏡に写して見た
それは大概夫婦の営みの後だった
「どうにかなってるのか?」
男が心配顔で訊いた
「だいじょうぶだよ。何ともなってない」
女が答えた
それは昨夜の事だ
朝
女は一番に男の耳元で甘く囁いた
吐息をかけるみたいに
「ゆうべも良かったよ。素敵だった」
女は遅く起きてきた
男は先に起きて朝食を用意した
「ごめんね。起きられなくて」
女は謝罪を口にしたが家事は苦手だった
その分男は料理が得意で好きだった
人生に零から始まるものは何もなかった
それは
人生に限られてばかりはいない
万物にも零から始まるものは何もなかった
なのでなんびとも何事においても
一から始めなくてはならない
男と女が愛し合う場合も段階と順序が用意されなくてはならない
興奮は高め合わなくてはならない
お互いの体の隅々まで行き渡らせなくてはならない
嫁入り道具の姿見は埃を被っている
女がもっぱら使うのは手鏡だった