平衡
カンチェルスキス







 ハンバーガーセットを注文すると
 工場のベルトコンベアに乗せられ
 出荷される電子レンジみたいな気分になった。
 ハンバーガーが出来上がるまで三分かかると
 店員の女は言った。
 409円だった。




 店内は空いていた。
 ブラインドが少し上がった
 窓際のテーブルに
 通路に背を向ける形で
 おれは座った。




 二つ離れた
 奥のテーブルに
 女が突っ伏して
 眠っていた。




 天気はよかった。
 日差しがまぶしかった。
 ひさしぶりの晴れだった。
 ゆっくり回る観覧車の右側に
 太陽があった。
 これから落ちていくところだった。




 コーヒーを飲みながら
 ハンバーガーを待った。




 買い物袋を二つ抱えた女が二人
 駅の階段をのぼるところだった。
 そして駅の外に出たばかりの
 恋人たちは
 観覧車をバックに
 携帯で記念写真を撮った。




 父親に手をつながれ
 濃いピンクのズボンに
 淡いピンクの服を着た
 小さな女の子が
 花壇の上を
 ステップ踏みながら
 歩いていた。




 枯れ木には
 一枚も葉がなかった。
 裸だった。
 恥らう様子はなかった。
 もう慣れたものだった。




 ロータリーの
 客待ちのタクシー運転手が
 仲間とタバコを吸いながら
 しゃべってた。
 車の屋根やボンネットが
 日の光にやわらかく溶けていた。




 突然おれはいなくなり
 風景だけが残った。
 そしてハンバーガーがきて
 おれは現実に引き戻された。
 ポテトとコーヒーを
 交互に挟んで
 薄い肉とパンをぱくついた。




 女は突っ伏して
 まだ眠っていた。
 オフィスビルの38階で残業してても
 おかしくないような女だった。
 ポテトの箱に
 ハンバーガーの包みを
 丸め込んでいた。
 ふくらんだバッグがテーブルの真ん中に
 どすんと置かれていた。
 何が入ってるのかわからなかった。




 観覧車を時計に見立てると
 四時の位置まで
 太陽が移動していた。
 すべての線が消えかかり
 人工の光に再び明確な輪郭が
 再生される時間まで
 もう少しだった。




 途中
 店員の女が
 テーブルを拭いて回った。
 物音で女は顔を上げた。
 そして窓に頭を寄せると
 また眠りに落ちた。




 おれがどうしても
 思い出せなかったのは
 数秒前に自分が感じ
 考えたことだった。
 確かにそのときは
 この頭に
 確かな存在感を持って
 刻まれたはずの瞬間だった。
 でも二度と取り戻せなかった。
 自分の脳をどこかに置き忘れたみたいな感覚だった。
 あらゆるものが
 感じた先から
 なしくずしになっていった。




 女が動いた。
 窓に寄りかかってた頭を
 再びテーブルに戻した。
 かすかに寝息まで
 立ててるようだった。




 はじめから存在してなかったかのように
 ハンバーガー、ポテト、コーヒーは
 おれの前からなくなっていた。
 おれはポテトの箱に
 ハンバーガーの包みを丸め込め
 油のついた手を紙のナプキンで
 拭いた。




 ダウンの中年の男が
 テーブルを一つ挟んだ右側の席に
 座り
 フリーペーパーの求人誌を
 読みはじめた。




 おれはいつ自分はここから
 立ち上がるのだろうと
 考えていた。
 この座席をいつ立つのか
 ずっと考えていた。
 古くて新しい問題だった。
 もしかすると
 一生座ってるかもしれないとも
 思った。
 あるかないかのタイミングを逃して
 背骨も溶け頭蓋も溶け
 椅子の上でビニールの燃えカスになった
 自分を想像した。
 恐ろしくなった。
 長くいればいるほど
 立ち上がりどきが
 わからなくなっていった。
 混乱した。
 油のついた手を
 くしゃくしゃの紙のナプキンで
 何度も拭いた。
 そしておれは
 自分でも感知せぬ瞬間に
 立ち上がり
 ゴミをくずかごに入れ
 トレイの上にトレイを重ねていた。
 危機を脱した気分だった。




 初老の女たちが
 グループで騒いでいた。
 さえない男と女が
 これから何かを注文するところだった。




 宝くじ売り場の女が
 ガラスの向こう
 無表情で座っていた。




 おれは振り返った。
 女は
 おれがはじめて見たときの形のまま
 テーブルに突っ伏して
 眠っていた。
 うなだれ眠る女の存在を無視するかのように
 半分残した
 チョコレートシェイクのストローは
 ぴんと
 まっすぐ立っていた。




 切り抜けたはずが
 何も切り抜けてはいなかった。
 歩きだし
 本屋の前を通り過ぎる頃には
 おれの胸は
 窓際の席に座ってたときと同じように
 十分過ぎるほど重さがなくなり
 透明度を増してゆく
 沈殿する思いから脱するための
 あるかないかのタイミングを
 一生逃してしまったかもしれないという
 悪魔的な考えに引き裂かれた。









自由詩 平衡 Copyright カンチェルスキス 2005-04-11 16:53:26
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