かすかな朝焼けとホオジロの声
山人

 今月ももうすぐ終わる。仕事のほか、事務的なものを多く作成する必要があったが、昨日でほぼ完了し少しホッとしている。家業で書いているブログも書き終え、ふと外を見れば思いがけず朝焼けとホオジロの声があった。いつもこのように何かに夢中になり、手を休めると周りには自然があり、私の前に確たる劇場を見せてくれる。
 そう言えば散歩をしなくなってから久しい。二〇〇二年頃からシロを引き連れて野を歩き山を駆け、そして散歩も良くした。そのシロが死んでもう丸四年経った。今頃は、近所の作業小屋の近くではシロガネソウが咲き、みずみずしいフキノトウが顔をのぞかせていたことだろう。シロは何気になにかに興味をしめし、ふとまた我に返り歩を進め私のリードの先を歩いていたのだ。シロにはずっと本音を言い愚痴をこぼすのもシロだけだった。私がなにか言葉を発するとシロは反応し私の顔を見るが、それは一瞥という行為でしかなく、またシロは意味のない無益な猟欲のためにまわりに視線を向けるのだった。シロとの一方的な会話のやり取りの合間に景色は流れ、大きな杉の大木の横にたどり着く。そこで、その木を伐採するという状況を設定し、私は施主に対して施工方法を演じ始めるという行為を好んだ。直径七〇センチを超えた杉の木を道路側に伐採すればいいのか、それともすぐ傍の川の側面に倒せばいいのか。私は施主を想定し演じ切り、説明を終えたところで私は我に返りシロのリードを引く。シロは私の悪癖を黙って身じろぎせずに立っていたと記憶している。このように、シロを前に私は自らの失敗やあり得ない未来に対し弁舌した。その間、シロは私のステージの横にいつも座り、私の演じ方を黙り、見ることもなくただ佇んでいたのだった。
 シロが居なくなっても散歩は可能な筈だったが、よく考えてみると何かが足りないという事に気づいた。それは、右手でいつも引いていたリードがないという事だった。シロが速度を上げれば、それを制御するためにある程度の腕力が必要とされたし、シロが私の体をわずかに引っ張ることから右半身体勢が常に維持されていたことに気づく。シロとの散歩はそのように、体のバランスが崩れた中でのバランスを保持しようとする、バランス保持筋力が養成されていたのだった。
 シロのいない散歩は、ただ、体一つでバランスは良いはずなのだが、なにかないと逆にアンバランスになる。あまった手はどこに置けばいいのか、ポケットに手を差し込むのもあるだろう、でもまさぐるものすらポケットには何も収まっていない。シロとの散歩は、私の散歩であると同時にシロの散歩でもあったが、不思議な、私とシロが一体となったある種の混同体でもあり、それが早朝のとがった空気を吸い、夜のカエルの鳴き声のしじまにとろけていたのだった。
 かすかな朝焼けとホオジロの声がした朝はいつしか衰えて、遠い山はどろりとくもり、カラスが二度ほど単調な声を落としていった。


散文(批評随筆小説等) かすかな朝焼けとホオジロの声 Copyright 山人 2020-03-27 07:18:49
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