雨の日、うつくしい使者と
ホロウ・シカエルボク


あなたは世界をかくすほどの傘をさして
しのび足のような雨のなかを歩いている
ひらひらするくるぶしまでのスカートはすこしだけ濡れて
きれいにふちどられたショートケーキのようだ

つばめは果敢にも雨つぶを切り裂きながら
哨戒機のように飛び去っていく
しゅう、という音が見える気がした
少しづつ春が近づいて来るころ

はやり風邪がひどく世間を騒がせて
街は二度と遊べないチェス盤みたい
水溜りがつくるあなたの足跡が
不思議なほどまっすぐに同じ感覚で続いて行く

急いでいたタクシーがブレーキのタイミングを見誤り
集団登校の小学校低学年の列に突っ込む朝
悲鳴と泣声、慌てふためく引率の大人たちのあいだを
あなたは目もくれずにすり抜けていく

じきに動かなくなった血まみれの男の子は
きれいで冷たいひとを見たと言い残した
そのそばに居て彼の無事を願っていた女の子は
そのひとをおばけみたいだと思った

ぼくはどうにかしてあなたに話しかけたいと思っていた
ねえ、こんなときだから
マスクをしないと駄目ですよとか、そんなことを言って
でもなにかが足りない気がしてふんぎりがつかなかった

濡れたブロック塀は迷いを端的に表現しているみたいで
毅然としたあなたの足跡とは大違いだった
ぼくは傘をさすのが面倒臭くなって
きれいに丸めてボタンで留めて濡れながら歩いた

角を曲がるとあなたが立ち止まって僕を待っていた
喪失をたくさん飲み込んだみたいな笑顔を浮かべていた
ぼくはなんとなくそのことがわかっていたような気がして
あなたを不快にさせない距離で立ち止まった

「いけませんよ」とあなたはいった
「小ぶりだからといって傘を閉じてしまっては」
いいのです、とぼくは答えた
昔からこうしていたのです、と

「いけません」とあなたはもう一度言った
氷の洞窟の奥深くから微かに聞こえてくる反響みたいな声だった
「雨は空がいらなくなったものを捨てるための手段」
「いらないものにまみれていたらいらないものになってしまいますよ」

呆然としたぼくにあなたは笑いかけて
毅然とした足跡を残しながら繁華街のほうへと去っていった
ぼくはもうあなたのあとを追わなかった
あなたがどうしてそんな風に歩いているのかなんとなく理解したからだ

ぼくは傘をさして歩いた
濡れながら見る雨と傘の中から見る雨はまるで違うものみたいで
身体に残ったいらないものを必死で払った
ねえ、あなたの用事がすべて済んだそのときは


もう一度
こちらに歩いて来てもらってもいいですか



自由詩 雨の日、うつくしい使者と Copyright ホロウ・シカエルボク 2020-03-01 22:27:15
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