信ちゃん
こたきひろし

信ちゃんはね。本当は信子と言ったんだ。
でもね、お世辞にも可愛くなかったし、美人でもなかったな。
ただ庶民的で気どらない親しみやすい女子だった。
信ちゃんはね、俺みたいな男にも気軽に話しかけてくれてさ。異性を相手にすると緊張してしまって上手く言葉を扱えなくなるような男でも普通に話ができたんだよ。
可愛くも美人でもなかった信ちゃんだったけど、胸は大きくてお尻は出てたな。
もう四十年前以上の事だった。俺は二十一歳。信ちゃんは幾つだったんだろう。多分俺と大差はなかったと思う。
当事、俺はI駅前の軽食喫茶の厨房で働いていた。信ちゃんは客席で持ち運びと接客をしていた。
そこは三階建ての雑居ビルの一階にあった。
一階には他にパチンコ屋とくっついたゲームセンターがあって、経営者はあっちの人だった。
ゲームセンターの横にあった軽食喫茶店も同じ経営者で、日本名はなんて言ったかな?忘れた。
お店の接客担当には決められた制服はなくてじゆうだったな。信ちゃんはいつもタイトスカートを履いていて、スリット入ってたよ。田舎のお姉ちゃんなのにさ。
俺はそのスリットが気になって気になってしかったな。年頃の男でも奥手でさっぱり女に持てなかったから性には飢えていたからな。
そんな俺でも信ちゃんなら何とかなるんじゃないかなんて期待を持ってた訳さ。
だから積極的に話しかけてなんかしてたんだけど、ある日を境に信ちゃんは店に来なくなってしまった。
店には他にヒデちゃんって、人形みたいに可愛い顔した女のこがいてさ。男性客の注目の的がいたんだけど、俺とはろくに口を利いてくれていなかったな。
厨房にはチーフコックの佐藤さんというのがいたけど、そっちにやたら愛想よくしてたのにさ。
他には店長がいて、店長の妹さんがいて、信ちゃんがいなくなった穴はなんとなくふさがってしまった頃に信ちゃんの所在がわかったよ。
いつも身綺麗にしてビシッと決めている店長が教えてくれた。
パチンコ屋の店員の若い男と出来てしまって、そいつの子供孕んでしまったらしい。そいつはチンピラみたいな奴だったから、俺にはどうしても納得いかなかったな。
俺の自惚れかも知れないが、何で俺みたいな真面目で誠実な男を選ばないで悪い男になびくだよって。
笑っちゃうけどな。

俺が信ちゃんと再会したのはそれから二十数年後だった。
同じI市内のうなぎ屋だった。俺は転職し妻帯もしていた。仕事は工業団地内の工場で物流の仕事に携わっていた。
その日は仕事の懇親会の名目で同僚と上司とで昼食を共にした。食事代は会社からでた。滅多にない事だったが。
勿論、全員同じ物を注文した。鰻重である。
品物が運ばれて来るまでの時間は軽く仕事上の話をして待った。
四名の食事会だった。
やがて鰻重が運ばれて来た。俺と同年代と思われる女性が料理を運んできた。
その顔を見た瞬間、俺もだと思うが彼女もあれっという顔をした。
紛れもなく信ちゃんだった。
だけど、俺も信ちゃんもそれを言葉には出さなかった。
そこは社会人の大人同士だから、きちんと暗黙の了解をした。
俺は食事をしながら、用がすむと店の奥に姿をけしてしまった信ちゃんの事が気になって気になって仕方なかった。
なのに、食事会は何事もなく終了した。
俺は信ちゃんと一言でいい会話をしたかったが、叶う事はなく叶えられずに店を出た。

再び信ちゃんと再会したのはそれから二十年後の事だったが、その事は書かない。書かないつもりだ。


自由詩 信ちゃん Copyright こたきひろし 2020-02-17 00:40:18
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