ポイントを入れるなという一輪車氏の傲慢について
もとこ

御存じの方もいるでしょうが、この一輪車という人物は私がスタッフを務めるネット詩サイト「文学極道」において女性や障害者や特定の民族、国家の人間を差別する発言や個人への暴言を繰り返してアク禁になった人物です。文才があり余計な力が入っていない時はとても良い作品を書きますが、とにかく自分への批判に対して耐性がありません。褒められている時は愛想が良いが、少しでも批判されると途端に態度を変えて相手の性別や人格まで含めてネチネチと絡み暴言を吐く。そういうことをずっと繰り返しています。そういう人間は自分の発言を憶えていないことが多く恐らく彼もそうでしょうが、文学極道で彼がサイトやそのスタッフ、さらには他の投稿者たちへ投げつけた汚い言葉の数々は本人が後で削除したものも含めてすべて保存されています。文学極道の詩投稿掲示板で「一輪車」、「全てのログ」で検索すれば、彼の発言で本人が削除しなかったものを読むことができます。

彼は以前にも私の作品がTOP10に入った時に同じ発言をしましたが、前述の経緯を考えればそれが純粋に作品や詩作行為への批判であるか疑わしいですね。その辺の判断は私と彼の作品や発言を読んだ方々が判断すべきことですが、少なくとも私は過去の経緯から会話をする価値もない人間だと判断して彼の挑発を無視してきました。今回も直接の会話は必要ないと思っています。

ただ今回の彼の発言に関しては、ネット詩サイトに投稿する者としてどうしても容認できない、黙っていてはいけないと思うことがありました。それは投稿する場や他の投稿者への礼儀や感謝の気持ちの欠如です。自分が評価されているときはニコニコ顔なのに批判されたり私のように「彼が気に入らない人間」がトップTOPに入ったりすると、途端に豹変して現代詩フォーラムという場やそこに投稿する人たちまで「ゴミ」や「カス」などと罵倒しはじめる。それはあまりにも身勝手な行為でしょう。

彼は私の詩の内容を批判するだけでなく「偏見に結びつくからこんな詩を書いてはいけない」と言っている。これまで他者への偏見に満ちた暴言を撒き散らしてきた人間からこんな言葉が出ること自体、笑えない冗談としか思えません。私は、詩というものは自由と責任を常に意識しながら書くべきものだと思っています。特定の個人や国民、民族などを差別し誹謗中傷するものは論外ですが、それ以外はテーマとして自由に書かれるべきです。私の作品に限らず、差別や虐待などをテーマにすれば傷つく人もいると思います。しかし、だからと言ってそういう題材で書いてはいけないという縛りを詩に与えるべきではありません。

また「彼にポイントを入れるような人間は私にポイントを入れるな」と事実上命令する傲慢さは、「クラスでいじめている人間と仲良くしたらその子もいじめる」という幼稚な思考と同じであると考えます。ネット詩サイトに投稿するということは、その場のルールで許される範囲で誰もがポイントやコメントという形で評価されることを受け入れるということでもあります。もちろん、ルールを逸脱した暴言や妄言は無視して構いません。しかし、「ポイントを入れるな、コメントするな」と他の投稿者へ圧力をかけることは許されないし、実に愚かな考え方です。

一輪車氏の言うことが正しいと思うのなら、私にポイントを入れない方が良いでしょう。しかし私自身はこれからも自分が面白いと思った作品にはポイントを入れていきます。それもまた自由と責任に基づいた行為だと思います。


散文(批評随筆小説等) ポイントを入れるなという一輪車氏の傲慢について Copyright もとこ 2020-02-13 09:21:49
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