明々後日の方向
ホロウ・シカエルボク
ある休日の午後のこと、見覚えのない番号から電話がかかって来て、退屈に任せて出てみたら懐かしい人間からだった、もう二十年近く前かな、同じホームページサービスで知り合った男だった、お互いに詩を書いていて、俺はあくまで書くとはなんだろうというテーマのもとに黙々と書いていたのだけれどそいつはとにかく熱くて、最期の瞬間まで詩人として生きる、とか、頻繁にそんなことを口にするやつだった、ともすれば詩を書いていることよりそんな話をしていることの方が多かったのだ、ひさしぶり、とそいつは時間の経過を感じさせない、昔のままの口調でつぶやいた、本当に久しぶりだな、と俺は驚いて返した、「なにしてた?」なんと言えばいいかな…とそいつはものすごく熟考した、まるで俺がどうしてもその答えをききたいと思って質問していると思っているみたいだった、いやまあ、言いたくないなら言わなくていいんだよ、と俺がひとこと口にしようとしたとき、そいつはようやく話しだした、「人生について考えていたんだよ」はぁ、と俺は間の抜けた声を出した、この会話は間違いなくどんどんつまらくなる、思えばあの時点でそんな予感はしてたんだ、「詩を書くのは素敵なことだよ、エキサイティングで、繊細な作業だ」、俺は返事も相槌もしなかった、それはまったく繊細な表現には思えなかった、「でもそれよりも先に、やることがたくさんあるような気がしてたんだ、ずっと」、ここでそいつは、まるで重要な問題について話しているみたいに思わせぶりな間をとった、それで?と俺は棒読みで訊いた、三流の推理小説みたいな会話を早く終わらせたかった、「つまりさ、俺たちは歳を取るんだ、自分で自分をどんなふうに考えていようとね、それからは逃れられないんだ」ふん、と俺は出来るだけ相槌のような感じでそう言った、「つまりさ、普通なんだよな、それが」、「へぇ」やつは少し戸惑ったような間を開けた、俺がその話に飛びついてくるとでも思ったのだろうか?「つまりさ、まず普通に生きて、人生を固める、確固たる基盤を作る」「それからでも詩を書くことは出来る」「異論はないね、それからでも書くことは出来るよ、お前の言うとおりだ」、そうだろう、とそいつは満足気な声で言った、「だから俺は、普通の人生を糞真面目に生きてみることにしたんだ」「そうか、気づきがあったようでなによりだ」、ん、とそいつは返した、俺の調子を計りかねているみたいだった、俺は話を進めることにした、「それで、なにか用事か?」ああ、と、思い出したような素っ頓狂な声、「お前いまも選挙とか行ってないのか?」行かないよ、と俺は答えた、「お前だって言ってた、あんなもんは嘘っぱちだって、政治に参加してるって自己満足を国民に与えるための無意味なペテンだって」、ああ、ああ、んんん、と、妙な揺らぎのある相槌、おそらくそいつは、そのことを忘れていたんだろう、「あのときは若かったからね…でもいまじゃそういうことも大切だって思ってるんだ…いや、お前が子供だって言ってるわけじゃないんだ、俺は俺なりに大人になる道を見つけたってことなんだよ」、ああ、大丈夫だよ、と俺は答えた、「そんな風には感じていないよ」、そうか、よかった、とそいつはこちらを気遣うよなため息をついた、猫撫で声のため息というものを長い人生で俺は初めて聞いた、「それでさ、もし良かったらでいいんだけど、気が向いたらで…選挙とか行く気になったらさ、『美しい光』党の〇〇に入れてくれないか?この人は凄く素晴らしい人なんだ、児童教育や、老人福祉問題なんかに凄く力を入れていてね、そうだ、今度講演会もあるんだよ、ちょっとでも興味あるなら、俺お前のことを○○さんに紹介出来るよ、どうかな?もちろん無理にとは言わないよ、だけどお前も、ちょっと違った文化を見てみるのもいいんじゃないかって、俺はそう思うんだよね、だからこうして久しぶりに電話してるって訳なんだ」、悪いけど興味もまるでないし時間もない、と俺は答えた、「覚えてるだろう、俺みたいな人間は社会の末端でさらにその隅っこをほじくるくらいの日常しか生きられないんだ、食い扶持のために端仕事をして、余った時間で自分を取り戻すことしか出来ないんだ、日常をいくら膨らましても意味がないんだよ、そういうわけだからさ…いまから仕事に出かけなきゃいけないんだ、わざわざ電話してくれたのに悪いけど」、俺は諭すような口調でそう言った、俺がそういう喋り方をするのを昔のそいつは嫌いだった、でもいまのそいつはそうかぁ、と、不自然な愛想の良さで答えただけだった、「わかったよ、忙しいとこ悪かったね、また電話するよ、今度は酒でも飲もうぜ」、ああ、と俺は答えて電話を切った、そしてソファーに深く腰を下ろしてため息をついた、猫撫で声じゃない、真剣なため息だ…しばらくそのままぼうっとしていると、あいつと一度だけ喧嘩したことがあるのを思い出した、原因はなんだったか忘れたが…「お前はいつも心のどこかで俺のことを軽蔑しているんだ」怒り心頭といった様子であいつはそんなことを叫んだ、どこか飲み屋街のど真ん中だったな
お前あのときのこと覚えてるか?―あの台詞いまもう一回言ってくれないかな?