戯れ言と云われても
涙(ルイ)
幸福について考えるとき
幸福はいつも
私というものを
嫌と云うほど 突きつけてくるのです
幸福になりたい
ため息みたいに口について出てくる言葉
だけど 一体何がどうなれば
幸福と呼べるのでしょうか
たとえば温かいご飯が食べられれば
雨露しのげる屋根のある家に住めれば
寒さ暑さから身を守る衣服さえあれば
死ぬまで病気も怪我もなければ
それだけで幸福と云えるのでしょうか
私の欲している幸福は
恐らく そんなものじゃない
具体的にどう云っていいかわからない
けれど それだけのことじゃないことだけは解ってるのです
たとえば好きなひとが自分を好きになってくれること
心の深いところで通じ合えること
淋しくなれる相手がいること
たとえばひとりででも どこへでも行けること
一生懸命に生きれる目的がひとつでもあること
家族が笑っていること
過去も未来も 隠さず語れること
誰の人生をも冒されない
等しく生きていてもいいそんな世界
そういうのを
たとえば幸福と呼んではいけないでしょうか
それを望むのは
とても贅沢なことなのでしょうか
自分は子供を愛せない 不幸にすると
早くも悟った子供時代
キラキラなんて縁遠い
真っ黒くろすけだった青春時代
明るい未来なんてどこにもないと
妙に冷めていた あの時代
それでも それでも
口をついて出てくるのは
幸福になりたい
ただ一点だけだったのです
私の青い鳥は一体どこをほっつき飛んでいるのでしょう
頭上ではさっきから
バカァバカァと烏が啼いています
幸福になるには努力も必要
解っています
ごもっともです
ぐうの音も出ません
そうなるようにしてこなかった
自分が一番悪いんだって
好きなひとに嫌われるのが怖かったから
心を閉ざしてとじ込もって
ひとりなら淋しささえも知らずにすんで
どこへでも行けたはずなのに
興味あること以外なにもしなくて
一生懸命がなんだかとてもダサく思えて
家族が笑い合うなんて 百年経ったってあり得ない
そんな人間が 幸福になんかなれるはずないのにね
バカね まったくバカね私
それでもやっぱり どうしても諦めきれずに呟くのです
幸福について考えるとき
幸福はいつも
私というものを
嫌と云うほど 突きつけてくるのです
幸福とは一体なんでしょうか