郷(さと)
「ま」の字

風がどっとおろし
茶と黒のふとい縞がうねりあがる
「おーい」
影がよぶ
なんだ陽とくらがりとが罵り、奪いあう場に誰もいない
草の実は野をとび またとび つぎつぎととぶのに
純潔な実も 描いた軌跡ひとつひとつも
(裏かえり遠ざかってゆく鳥の影も
わたし以外の者はすべて忘れる
「おーい
これは誰の記憶、誰の視界、時は誰の持ち物
立ったかたちを置き去りに 
一気に堤を駆け下りた

 血の色透けたら みぎ ひだり
 在るか 無いかの そら思案

ほおお!
サムライの世はとおに去った
土酋ののぞみ儚くも帝国の時代みよも過ぎ
いまの辺鄙の地はいたずらに冷却し
山岳は厳然とたかく
町も、路も、ひとの気配も、時にするどく時に鈍く光っている
ここしか知らないここ
「おーい
少年だった。老いた。  (少年だった。
去った。


喉にすこうし血の匂い
(病弱な子だった)
そのころは世界のどこなりとも通り路があり
路を継ぎ換え継ぎ換え ひくい家々の軒を抜け
今では露わの胸と腕を伸べた記憶おのれを追い抜いてゆく
(殷賑なれ 華やげる土俗 外れさびた街)
やがて草の実の飛びかう野のさきに
うっすら海にくちをあけたものは現れる
暁まえの様子に似て
うす昏い輪郭も美しゅう 
おれは死んでしまいたいか!
生きてしまいたいか!
(おーい
こたえろ
そのさきの海に走りこめば
(言ってみろ!
沖の堆に群れる黒ぐろとしたいきものたちの影に
あたたかの日は溜まり
「おーほ!
行ける 行ける 行ける
いつかは行けるのだと
歓びが
湧きかがやき しらしらとさわにさやぎ


またさびしく


自由詩 郷(さと) Copyright 「ま」の字 2019-12-07 22:38:13
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