老いたペンギンのメモ
由比良 倖
僕はここに生きている。全てが可能になる領域。
とても長い時間をかけて鬱が良くなったり悪くなったりした。五ヶ月前に何か変わった。ピストルにセーフティがかかるみたいに。二ヶ月前にも何か変わった。そのままピストルをベランダから放り投げたみたいに。外に向けるための照準も、自分の頭を撃ち抜くための弾丸も、もう要らない。たとえ誰かに殺されるとしても、死に顔があまりシリアスなのは嫌だ。笑って死にたいからヘッドホンはいつも抱えて歩く。あんまり外は見たくない。全てが僕を去っていくから。眼が悪いけど、眼鏡はかけない。
今月(2019年の10月)に入ってからも、何かが変わった。自分の家に幸せの鳥がいることくらい誰でも知ってて、その家は心の中にある。外の世界に家があるとき、家の中は空っぽだ。どんなにそこに住もうとしても、そこに僕はいない。目を瞑ると、世界は融けていく。日本的な湿っぽいメロディ。或いはアメリカのホラーのBGMみたいな、お気に入りの旋律を抱えて、眠る。自分の手が、世界の向こう側にあるみたいな感覚が好きだ。手が、向こう側の世界の風景を、紡ぎ出してくれるから。
全ての情報を、浴びる。何の罪悪感も無しに。ひとりで書いていると、悪いことをしているように楽しい。
八年間の間、僕は一度も楽しいと感じなかった。
僕は文学少年だった。同時にいささか気が触れたほどの、音楽少年だった。しかし僕は、23歳から31歳までの豊穣な、自分専用の脳内ライブラリーの基礎固めの時期、ずうっと雨に打たれていた。僕は文学少年だったが、文学青年にはなれなかった。なるべきだったのだ。僕は僕の脳内に鍵を掛けられていて、脳内が嵐と腐食にめちゃめちゃにされていくのを、どうすることも出来ずに、ただ僕の自己の外から、自己への扉を叩きながら、ただ茫然と、僕は僕から阻害され続けていた。ただ、久しぶりに僕が自己の中に、不意に入室許可を与えられたとき、僕の中にあるのは、八年前と変わらぬ、懐かしい僕の部屋だった。いくらか薬と煙草の匂いでむせ返るようではあったけれども、少なくとも原形は保っていたし、開かれた本は、そのままに、ライブラリーも懐かしく僕流に整頓されたまま、少年時の僕の面影を残したままだった。僕はもう今は、それだけで満足な気持ちだ。自己から阻害されている間、僕は僕の為の鏡を持たなかった。久しぶりに自己の大広間の鏡面に映された僕は、思っていたほどには変貌していなかった。というより、年齢よりもずっと、少年時の面影を残したままだった、というか、打ちひしがれてはいたけれども、子供のまま、と言っていいくらいだった。確かに僕には皺が増えた。けれども老年は少年に似ている。僕は青年期を通らなかった。よって僕は、より少年のままに老境を迎えた。今、今の僕を、僕は割に気に入っている。僕は文学少年だった。青年期、僕は文学では決して味わえない、まだ誰も味わおうとは思わない、精神の浮浪生活を送った。その日々は、しかし今、僕に魅力的な皺を、暖かい、時間のかかる、懐かしい皺を、僕の脳内に刻んでくれた。文学青年には決して刻まれないだろう、孤独な、お気に入りのカーペットにノミが暖かい寝床を発見するように、僕自身をそこにすっぽりと受け入れてくれる、僕の、僕自身の、誰のものでもない皺。その皺が僕はとても好きだ。その皺は僕の誇りだ。僕はピストルを用意していた。ピストル(Ruger SP101 2.25" $719.00)は実のところ、雨の中で、火薬が湿っていた。もちろん、架空のピストルだ。本物があったなら火薬なんて湿らないし、それで、僕は僕の脳幹か、それとも僥倖にも、自己の鍵穴に、それを、躊躇いなく撃ち込んだことだろうに。(僕はアメリカに行ったら、必ずその、同じ銃を、買おうと思っている。僕にとってお守りであり、今では過去の八年間を称える、勲章のように、僕の脳内暖炉の上に飾られている、僕の為の、青春の遺品のような銃。)という訳で、さっき、ピストルを捨てた、というのは実は嘘なのだけど、ピストルの温度が変わってしまった。自殺に使えるようになった途端、それはピストルとしての本来の役目を終えた。僕は今は、僕自身の書斎の中で、弾丸を壁に撃ち込んで、遊んでいる。暖かい手触り、時間をかけて、幸福の形見となった、僕の銃。ねえ……僕は一挙に文学老年になった。少年漫画のシリーズが、くすんだ色合いの、いい匂いのする晩年漫画となって並んでいる。西瓜鱒のランタンのようにいい匂いだ。老年となった今、僕には未だ、未使用品のようにつるんとした、僕の十本の手指がある。古象の皮膚のようになった自傷痕、ひときわ美しく刻印された手首の傷あと、腱を切ったので、親指には未だ満悦するような麻痺がある。有り難いことばかり。雨の中、灰色の脳内役所で手に入れた、実際的で事務的な、ぱりっとした名刺のように、老いた眼を楽しませてくれるいくつかのもの。万年筆なんかもそうだし、雨の中でしか出会えない、道連れを、やっと僕の書斎へ案内できる。さて、簡素な椅子が心に馴染む。僕は今は乾いた、ずっとふやけていた十本の手指を、さらなる老いに馴染ませ、古びさせていく楽しみがある。脳髄、髄液を百年掛けて蒸留していく、じっくりとした計画もある。文学、そう、それから音楽、ギターはいい音をさせて、飴色に、よく乾いている。手の指は糸に似ていて、その先は買ったばかりの銅線のように、ギターの弦に艶々と巻き付いている。古くなっていく、僕自身の背表紙のための、僕はルリユール(古書の修繕職人)になる。嬉しいことに、僕は老いた。少年のように。
古風な文体をやめる。ちょっと遊んでみた。いや、もう少し続ける。ともかく、僕は鬱が去ってもう五ヶ月にもなり、これからの生活を段々に、また鬱になるかもしれない、という不安を脇に置いたままで、ワトソン紙にチャコールで描くようにではあるけれど、夢みることが出来るようになってきた。僕はもう、何にも好きじゃないのだと思っていた。でも、僕は言葉が好きだ。より正確には、文学が好き。本が好き。そしてやっぱり、やはりおかしいくらい、音楽が好き。本好きも、うん、おかしいくらいなんだけど。僕のやりたいことはシンプルだ。日本語が好きで、英語が好きで、フランス語が好きだ。勉強するともなく、教則本の例文の単語のひとつひとつが、とても興味深い。活字を指でなぞるだけで、純粋な、僕の中の、活力の泉みたいなものが、嬉しさで揺れるような感じがする。それから多分全ての音楽が好きで、もちろんその中でも特に好きな音楽(特にギターロック)があって、毎日毎日、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドを聴いてそれだけで死んでもいいくらいで、尚も、音楽理論の楽しみや、ギターや、随分と歳を取った馴染みの、おかしな声で歌うことや、ピアノを弾いたり、シンセサイザーやコンピューターの夢を見たり、でも、ああ、バンドを作りたいな、スリーピースや、欲を言えばカルテットで、と、うずうずしたり、と、でももう一度引っくるめていえば、文学と音楽があることの美しさに、砂漠を八年間歩き続け、ついに流氷と北海の波に辿り着いたペンギンのように、また泳げることの100パーセントの自由に、もはや何に感謝していいか分からないくらい嬉しい気持ちでいる。
僕の生活は、だからとてもシンプルだ。語学と文学と音楽だけ。他の社会的義務からは今、解放されているどころか、障害者年金を貰っている。もっとも、ありがちなこととして、僕宛の年金が、何故か親を経由して僕に渡されるので、使うたびに親にお伺いを立てなくてはならない、というちぐはぐなことが起こっているのだけれども、それ以上に僕の過去現在の生存費にどれだけ掛かったか、と言われると争う気になれない。多分僕なんかは自由な方で、月に一万五千円ほどなら、小遣いとして使えて、それで一年前に受給し始めてから、ウクレレと万年筆とヘッドホンを買った。今は猛烈に本が欲しいので、あまり大きな買い物は出来なくなるけれど、それでも割と満たされた生活を送っている。というか、年金を貰う前と僕自身の経済状況はあまり変わらないのだけど、親にまあまあ堂々とお伺いを立てられるところは、一年前までより断然いい。ネットカフェや小旅行にも、割と出してくれるし。どうでもいいことだけど、今年中の免許の更新に、どうしても眼鏡が要って、僕は眼鏡には拘りたいのだけど、その拘りを認めてくれるかどうか、ということだけが、目下の悩みだ。……まあ、それは些細な僕事なので、どうでもいいとして、これも僕事で、この散文には僕のことしか書いてないのだけれど、どもかく、鬱が治ったのではないかと思う。躁鬱なので、躁なのかもしれないとはいえ、経験的に僕の躁あるいは寛解期はけっこう長い。都合のいいことを言っているけれど、僕は、僕じゃないなら、僕を雇わないし、だから僕はどこにも雇われないだろうし、第一仕事に責任を持てないので、あるいは責任を持ちすぎて、結果的に無責任になるので、消去法的に僕は無職だし、でも無職が許されるなら、無職なりに、楽しく生きたいし、同時にいずれは社会的存在になれるだろう、という日々の実感が欲しいので、勉強は何にしろしていくだろうと思う。言い訳するけれど、僕は本当に長いこと参っていて、やせ細っててんかんで倒れ、幻覚と幻聴で別世界にいたし、少しの刺激で心臓が止まりそうで、あまりに動悸が酷いので、射精した瞬間に死んでしまう気がして、どちらにしろ性欲も無かったけれど、オナニーもしないし、本も音楽も死んでるし、椅子に座っていると意識が飛びそうで、だからベッドと椅子の間だけを行ったり来たりして、いつ眠ったのか分からない、という生活を、途方も無く長く続けてきた。指が常に震えていたために、ペンで書くことが出来ずに、でも、キーボードで書くことだけは、ほぼ毎日続けた。大体いつも、そろそろ良くなってきてる、と書いた。両親は、いつも僕に腹を立てている気がした。僕は自分の文章を見るのが本当に嫌だった。この世界には、苦しい人が苦しいときに苦しさを表現出来る語彙が存在しない。それでも書き続けていたのは、ただそれが唯一の希望だったからだ。昔と同じように書けたなら、昔と同じように楽しくなれると思った。自分がペンギンだと思ったのは、鬱の初期の頃からで、最初は、今少し泳げないだけだと思っていた。その内に、僕はもう、泳ぐための羽を失ったのだと思って、その考えは文字通りの絶望なので、出来るだけ排除した。そして定期的に自殺未遂をした。自分を砂漠にいるペンギンだ、と思うよりも辛いのは、自分自身の能力が永遠に失われてしまった、と感じてしまうことだ。一生もう泳げない。一生泳げないペンギンなりに、歩いて、楽しいふりさえしなければならない。だから僕は、本当は泳げるのだけれども、今はたまたま砂漠にいるのだと考えて、毎日毎日ペンギンの足で歩いていたら、次の一歩で海に辿り着くかもしれない、と考えた。一歩目の水の感触は、日本語の、ある単語として現れるはずで、だから、横になりながらも常に、言葉を探していて、新鮮味と言えば身体と心の新しい不調だけで、同じ単語の連結を回り続け、語彙はどんどん失われていくけれど、ともかく歩くには歩いた。いついかなるときでも、自分が驚くような、自分自身にとって新鮮な言葉を自分が吐く瞬間が、次の瞬間にはあるはずだと頑なに考え続けていて、そのために僕は限りなく絶望しながら、口では空威張りする以外に方法が無かった。僕は意識的に、自分のこと以外考えなかった。何故なら泳げるペンギンが優しさを発揮するのは当然で、泳げないペンギンが泳げるペンギンを賛美したり、同じくくじけた仲間を励ますことは、自虐だと思ったからだ。僕が泳げるようになれば、自由を感じれば、少しでも楽しいと感じれば、そのとき僕はいくらでも優しくなれる、と思った。でも、その内僕が発見したのは、みんな泳げないなりに何とか生きて、自分が言っていることに真意を欠くと思いながらも、どうしようもなく諦めて、みんな本当は辛いのに、しかもかなり優しく人に接そうと努力している、としか思えなくなったことだ。泳げる人なんていなかった。だから僕は、死ぬまで僕は歩くしかない、と思った。そうして、羽なんて幻想は捨てて、灰色に笑い続けよう、そうすれば、いずれ歩くことにも実感が持てるだろう、みんなと一緒に笑っていれば、少なくとも誰かと、羽ではない不格好な腕であっても、抱き合うことは出来るだろう、と思った。
そう思った矢先、僕は水辺を見付けた。続きはまた書く。多分。眠くなったので。