秋の海へ
帆場蔵人
海は待っている。誰かを待っている。それは潮風に溶けた予感だ。海へと続く秋の小径に吸い込まれて行く時、私は知らず足早になっていく。透明な水に青いインクを落とした色の拡がりが、あの松の林を抜けた先にある。
夏の客たちは秋の海をまじまじと見た事があるだろうか。ほんの少し青が深さを増し、ほんの少し波が日に日に高まっていく。邪魔っけな入道雲が取っ払われて、鰯の群れが雲を為して光を浴び泳いでいく。
夏の客たちがすっかり居なくなった海辺はとても広く静かで、その豊かな光景は夏よりも味わい深い。ただ泳ぐにはクラゲが多過ぎる。しかし、それも海月、水母と書くとまた面白い。
中秋の名月の夜に海月が海に無数に浮かぶなら、私はどの月を愛でるだろう。また水母と書けば母なる海の潮騒の音に身の内の血潮が騒ぎだす。松林の薄暗がりで下草に隠れる潮の香を踏みしめながら、私の心は秋の海と戯れている。それこそが潮風に溶けた予感だ。海は待っている。私達を待っている。踏み出していく光の下、青の拡がりの中へ私は溶け出していく。