その時刻のことはどうしても思い出せない
ホロウ・シカエルボク


オーヴァードーズで死んだ海外の俳優のニュースでワイドショーはもちきりだった、俺は適当に皮を剥いた林檎を丸一個たいらげて顔を洗った、そいつの映画は一本も観たことはないが名前くらいは知っていた、世界的にヒットし続けているシリーズものの主演だったはずだ…間違いない、と言えるほどの関心は持ち合わせていなかったけれど―梅雨の晴間、になりそうな日だった、仕事は休みで、予定はなにもなかった、休みの日に予定を入れておくのは好きじゃない、それだけで半日は損したみたいな気分になる、朝起きたときの気分でその日なにをするのか決める、そんな休日が好みだった、心臓の手術で休んでいたミック・ジャガーは無事復活し、ローリング・ストーンズはツアーを再開した、彼らのニュー・アルバムなんてものを未だに臨んでいる俺は間抜けだろうか?もうあいつらトシだから、とファンの連中でさえ白けたことを言っている、だけどストーンズだぜ、と俺は常に言い返していたが、近頃は曖昧な返事をするようになった、ビガー・バンは良いアルバムだった、連中があれで最後にするつもりでいても不思議はないだろう…いまではロック・バンドも石を投げれば当たるほどいるし、コンピューターの進化により楽曲の幅も広がっている、インターネットを駆使した宣伝活動も山ほどある、どんなジャンルが聴きたくとも、即座に検索することが出来る、それどころか、スマートフォンに頼めば勝手にセレクションして流してくれさえする、ロックン・ロールはもうスタイルの一環に過ぎない、魂は時代遅れらしい、けれど、生き永らえることのカッコよさを教えてくれるのはいまでもローリング・ストーンズだけだ…ミック・ジャガーはきっと、マディ・ウォーターズみたいにキャリアを終えたいと考えているはずだ―デニムとシャツに着替えて外に出た、鬱陶しいほどの雨が数日振り続いた後は、鬱陶しいほどの太陽に照らされる一日だ、近くのでかいドラッグストアでいくつか買物をするだけの予定だった、きっとそれ以上は歩く気にならないだろうことは目に見えていたし…まだ昼前なのに自転車に乗った学生を時々見かける、テスト期間中だろうか?中間テストは今頃だったっけ?もう学生自分のことなど思い出せなかった、というより、自分が果たして学生だったことがあったのかどうかさえ疑問だった、あの、同じ年ごろの連中と馬鹿でかい建物に半日押し込まれるシステムはいったいなんなのだろう?それが果たして自分になにかをもたらしたのか―?邪魔になっただけだった気がする、ひとつの大きな流れに乗っかることが昔から嫌いだった、俺はそのころからひとりで生きる事ばかり考えていた、用意された程よいハードルを飛んで得意になっている連中を見ると虫唾が走った、たくさんの人間たちが集まる建物の中で、ひとりで過ごせる場所ばかりを探していた、そしてそれはいまでも変わらない―別に、システムに関しての不満だの怒りだのがあるわけじゃない、ただそれが自分に関係のあることだとは思えない、それだけのことなのだ…散歩をしているといろいろとくだらないことを考える…けれど、演劇部があったのはよかった、部活はそこそこ熱心にやっていた、舞台は見られたもんじゃなかったけれど、役を演じるのは楽しかった、そういや、まとまった文章を初めて書いたのは自分でやり始めた芝居の脚本だったか、そんなこと滅多に思い出さなくなったな―アニメのキャラクターを豪快にパクった立看板のある散髪屋の前を通り過ぎて、市営の広いグラウンドに出た、長雨のせいで下はぬかるんでいる、俺は雪に足跡をつけて遊ぶ子供のように、そこに靴をめり込ませて遊びながら歩いた、腕時計を見るとまだ目覚めて一時間も経っていなかった、しまったな、と思った、まだ開いている店さえほとんどない時間だった、そうして太陽はすでに俺のシャツに汗を滲ませていた、大人しくドラッグストアに入り買物をすませた、駐車場で軽い接触事故があったらしい、若い女と年老いた建築作業員が揉めていた、少しの間遠巻きに眺めたがどちらが悪いのかまるで判らなかった、そもそも接触事故が起きるような狭い駐車場ではなかった、こんなところで接触事故を起こすなんて特殊能力の持主でもない限り無理だと思っていた、でも現実にそれは起こっていて、当事者の二人の頭の程度は論争を聴く限り同じようなものだった、車の安全性がいろいろと問題になっているが、結局ハンドルを握るやつが駄目なら車自体に何の対策を施しても無駄というものだ、そこからさらに少し歩くと、昔友だちが住んでいたアパートの廃墟があった、そのアパートのことはありありと思い出せる、まともな人間が少なかった、夜中に叫び声をあげたり、窓から家具を捨てたりするやつらばかりだった、友達はそんななかで平然と酒を飲んでいた、一度住人の一人と夜中にばったり出会ったことがあったが、大きく開いているのになにも見ていない、そんな目をしていた…いまでも時々あんな目に出会うことがある、日常の、何気ない世界の中で、ほんの一瞬。




自由詩 その時刻のことはどうしても思い出せない Copyright ホロウ・シカエルボク 2019-07-11 23:23:53
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