衣擦れ
メープルコート

 衣擦れの音で目が覚めた。
 こんな夜更けに、暗闇の中で。
 気配をうっすらと残しそれは消えた。
 夢であろうか。
 誰もいようはずもない。
 妻も子も出て行った。
 私は病気だ。
 心の病。
 夢のような美音。
 まさしく夢か。
 再び寝入ろうとするとそれは聞こえた。
 今度はよりはっきりと。
 天使かそれとも死神か。
 夢か現か分からぬままそれは私の周りを廻っている。

 静寂の中、死が近づいてくる。
 現世で私は悪党だった。
 短い人生には後悔しかない。
 人の役に立つ事など何一つしなかった。
 自己満足のために働き、金を貰い、散財した。
 いづれ罰が当たると思いながら。
 それでも生きてゆくのには仕方がなかった。
 死など考えた事もなかったから。
 自分のために人を傷つけた。
 自分を守るために。
 とうとうお迎えが来たのか。
 静寂の中、それは消えない。

 もしも神様がいるならば、苦しむ子達を見過ごすはずはない。
 世間から見放され、愛すべき、いや愛されるべき親からも見捨てられ、
 施設に入り、体を売っている子供達を見捨てるはずはない。
 彼らこそ賞賛に値する人間だ。
 もしも神様がいるならば、彼らの誤解は解けるはず。
 それでも現実は甘くない。彼らに厳しい。
 神様なんていないのだ。
 もしも私に神様がいるのなら、彼らのそばに寄り添ってほしい。
 私にはそろそろ神様は必要のないものだから。

 目を瞑り、静寂の中、耳を澄ませる。
 衣擦れの音がやけに美しい。
  ・・・その目はまだ開かぬのか。
 私の祖父の声に似ている。
  ・・・お前にはほとほと呆れたよ。しかし見捨てる訳にはいかないの。
 これは祖母の声。
 そうか、これは私の守護霊だ。
 優しさに包まれているような感覚。
 懐かしい匂い。
 この衣擦れは私を見守る音だ。
 なんて心地よいのだ。
 私はまだ見放されてはいなかった。
 願望のなせる夢でも構わない。
 私はすべてを洗い流し一からやり直せる。きっとだ。
 
 薄っぺらいカーテン越しに、黄色い月が見える。
 今宵私は死んだのだ。
 そして生まれた。
 すべてをやり直すために。
 悩み苦しむ人たちを忘れてはいけない。
 衣擦れの音が静寂の中、厳かに巡っている。


自由詩 衣擦れ Copyright メープルコート 2019-06-30 02:16:24
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