「ひまわり」
羽衣なつの


 「ねえ、夜這いって、知ってる?」

 と、麻子あさこちゃんにきかれた。

 わたしは、その言葉を知らなかった。

 「ヨバイ?」

 麻子ちゃんは、けさ読んだ小説に出てきたのだと、教えてくれた。

 初夏の、暑い日だった。小説の名前は、何だったのだろう。

 「わたし、子供が産めないんですって」

 そういって、麻子ちゃんは美しく笑った。

 「ヨバイ」のことは、それきりになった。

 麻子ちゃんは体が弱かった。もともと休みがちだった学校に、まったく来なくなったのが冬のこと。春がすぎ、夏が近づいても、麻子ちゃんは家で寝ていた。白地に紺の蝶の模様が入ったゆかたを来て、ベッドに横になっていた。小さい頃からずっと伸ばしていて「毛先を揃えるだけなの」と自慢していた長い髪を、おさげに結んでいた。「ずっと寝てるから、こうしないと邪魔なのよ」と、麻子ちゃんはいった。

 麻子ちゃんのお母さんが持ってきてくれる、つめたいカルピスをストローですすりながら、わたしたちはいつも、とりとめのない話をした。麻子ちゃんはどんどんきれいになっていった。わたしは麻子ちゃんにみとれながら、学校のことや、先生のこと、友だちのこと、自分の家の話などをした。麻子ちゃんはころころとよく笑った。(そんなに笑ったら、からだに悪いのではないか)と、わたしは気が気でなかった。

 ある日、わたしは、麻子ちゃんに「買ってきて」と頼まれた新品のクレヨンを持って、麻子ちゃんをたずねた。クレヨンを手渡すと、麻子ちゃんは目をうすくとじて頭を垂れ、「ありがとう」といった。枕元に、ゴッホの画集があった。表紙は、有名な「ひまわり」の絵の図版だった。

 夏休みになり、わたしは毎日のように麻子ちゃんの家に行った。麻子ちゃんは、スケッチブックにクレヨンで、ゴッホの「ひまわり」を一心に描いていた。わたしは、「ひまわり」を描く麻子ちゃんを見ながら、夕方までそこにいた。話しかけてはいけない、と思いながら、画用紙に分厚く塗られていく、あらあらしいほどの生気を放つ黄色を、息をのむように見つめていた。

 お盆がすぎた頃のある日、わたしはいつものように麻子ちゃんをたずねた。麻子ちゃんは、もう「ひまわり」を描いていなかった。スケッチブックは閉じられ、勉強机の上に置かれていた。わたしたちはまた、前のように、とりとめのない話をした。

 とつぜん、麻子ちゃんが「見て」といい、はさみを手に取り、長いおさげ髪をじょきり、と切り落とした。わたしはあっ、と口をあけた。髪を切った麻子ちゃんは、小学生のころにふたりで読んだ、ギリシャ神話の絵本に出てくる美しい青年のようだった。わたしがそういうと、麻子ちゃんは

 「じゃあ、元気になったら、わたし、なっちゃんのところにヨバイに行ってあげるね」

 といって、たのしそうに笑った。

 麻子ちゃんは、その夏の八月三十一日まで生きた。十五歳だった。




自由詩 「ひまわり」 Copyright 羽衣なつの 2019-05-31 16:11:24
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