リサイクル・ミー
クリ

海を見ると抱くあのときめきは
回帰してしまう恐怖と隣り合っているのかな
曇天のもと じっと目を凝らしていると
今にもゴルゴ13の顔をしたペンギンたちが
水平線までマトリックス状に押し合いへし合い
やぶにらみで屹立する幻に襲われる
それが現実であったとしよう この際
問題はペンギンたちの狙撃の腕がどれほどかということだ
例えば全員が僕の急所を外し すべてが致命傷に至らなかったら
僕は多分死ぬほどの苦しみを味わわなければいけない
というか死ぬんだけれど 猛烈な苦しみが嫌いなのだ
死への恐怖というのは半分は痛みへの生理的な怖れだと思う
水平線までイワシの缶詰のように並ぶペンギン全員に
命乞いをして回ったりすることはほぼ不可能であるから
僕がただ願うのは 脳天をぶち抜いてくれ ということだ

生きることにはふたつの目的がある
生き続けることと いずれは死ぬ ということ
生を見晴るかすとそこには死が待っている
死を見通すと案の定 生が垣間見える
常套句だけれど 生死の境を彷徨った者には紛れもない事実
「生きたい」と「死にたい」はウロボロスの環なのだ
二つのおもりの平衡を微妙にコントロールしていた蛇
つまりフロイトの蛇 これをくるりと結んでしまったのが
ユングなのだな と考えてみたりする
そうこうするうちに ゴルゴ・ペンギンは一斉に
M16ライフルを投げ捨てて砂浜に上陸した
数万羽のペンギンが一列横隊する光景は
無限に連なる水子地蔵を思わせた

その後僕はブラキストン線を越えて森の中に踏み入ったのだが
ここでもまた別の感慨を抱かざるを得なかった
以前死んだときにまさにこのような森の中に埋葬された
樹木の根毛から徐々に僕であったものが吸収されていった思い出
バクテリアに分解され ミミズに摂り込まれていった記憶
そしてそれらは次々に食べられ やがては
今の僕の体の中に少しだけ戻ってきた
「おかえり」
死は 再生のスタート地点であると
海と大地と森と空は 僕らの百万年の遊び場であると
しみじみ納得する僕の目に 森の奥でキラリと瞬くものが映った

それは はぐれたゴルゴ・ペンギンのライフルスコープであった
「いってきます」



                                                              Kuri, Kipple : 2005.03.30
とても未詩です


未詩・独白 リサイクル・ミー Copyright クリ 2005-03-30 21:27:44
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