モギリ / 冷たい大理石の記憶
beebee
43年ぶりに高校の同窓会に出ることになって、卒業写真を探していると、古い写真入れの中から一枚の写真が出て来た。それは母の遺品の形見分けの際に兄から渡されたものだった。古い毛ばだった厚手のコートを着て、子供の私が母と歩いている。左手で母を引っ張りながらずんずん歩いている私の右の手は何かをしっかり握っている。私は突然それが何か分かった。そしてある事件を思い出した。母がこの写真を残していた理由もわかった気がした。
あの時、子供の私は冷静だったと思う。両手に握りしめた商品タグをもう一度左手に握りなおし、大きな大理石の階段を降りて行った。いつの間にか家族とはぐれて迷子になっていた。私は覚悟を決めてどんどん階段を降りて行った。
小学校に上がる前の一時期、私は商品タグのモギリに夢中だった。いつの間にか我を忘れて、手にいっぱいの商品タグを握り締めていた。厚紙に押し型して彩色された商品タグはバッチのように輝いて見えた。でも肌着売場の商品タグは、みんな同じような長方形の厚紙に、白地に紺色の実用的な文字で書かれていて、いっぺんにたくさん取れたけどつまらなかった。私は両手いっぱいになるとすぐにそれをゴミ箱に捨ててしまった。私はとても悪い子供だったのだ。
私は母親の手にぶら下がりながら、通りすがりの商品タグを物色した。母親が商品選びに時間を掛けていると、私はそっと手を離して、独り狩りに出かけるのだった。
洋服売場の商品タグが一番好きだった。セピア色のタグやブラックのタグ、特殊な紙質でセルロイドのように見えたり、大理石を薄く切ったように見える物もあった。特別な獲物が取れると私はとても幸せな、得意な気分になるのだった。 都会の人いきれと色彩の豊かさに幻惑してしまい、私はいつも最後には疲れてしまって、帰りの電車の中で眠り込んでしまうのだった。
その日、大阪大丸百貨店で私は迷子になった。いつものようにタグをいっぱい握りしめて売り場を走り回っていた私は、気が付くと母親も小学二年生のちっちゃい兄ちゃんも見えなくなって、階段を独りで降りていた。大理石の広い階段を下へ下へ降りていった。いつもの目印の場所が見つからなくなって、私は迷子になってしまった。滑らかな冷たい大理石の感触を覚えている。
迷子を告げる館内放送を受付のベンチに座って聞いた。受付のお姉さんに凭れ掛かって一緒に母親を待っていると、いつの間にか疲れて眠ってしまった。ちっちゃい兄ちゃんの声が聞こえて目を覚ますと、母親がすぐ側に立っていた。
私は母親にかじりついて泣いたのだろうか? あの頃うそ泣きが得意だったから。でもそこからよく覚えていないのだ。家に帰ってから父親にも叱られたのだろうか。その頃の父親はとても怖くて、うそ泣きができなかった。
私たち兄弟が使っていた、昔父親が使っていたと云うお下がりの勉強机の、一番手前の大きな引き出しの奥に、硬い紙の箱の中に隠して、私は商品タグをいっぱい持っていた。私の宝物だった。見つけた写真で握っていたのは、その頃お気に入りの商品タグに違いなかった。でもいつの間にかみんな捨ててしまっていたよ。