近視眼(改訂)
そおっと生きる
スポーツで一人の勝者が嬉しそうです
発明した一人の人間が嬉しそうです
空前の高収益を上げた一人の起業家が嬉しそうです。
そんなもん もうやめようや 真面目な顔して あほらしい
順位を付ける決められたルールの上での既にやり尽されたプロスポーツなんてのは生産でも何でもなく、これといって新しい発見もない、ましてや冒険などでは決してなく単なる必要のない戦いでしかないから述べないけれど
後の二つは
草や木において、花をつけた、実を結んだ、その付け根の一点だけに注目して、花や実が草や木と繋がっているところの極々小さいただその一点だけが素晴らしいとやっているようなもんじゃないのかな
その花や実をつけるには、根や葉や幹や枝、皆必要だったはずなのに、ただその一点だけ取り上げて称賛する。
更に言えば、花や実をつけるには、周りのもっと大きなもの大地や水や太陽や風や時や様々なもののお陰なのにそんなものには見向きもしない。
そんなことをやっていると、みんなその一点になることだけが凄いことだと考えて、大事な根や葉や幹や枝の大切さ、より大きなものの有難味が解らなくなってしまう。
今では社会全体がその一点になる者のためだけの壮大なビーチフラッグス大会のようになってやしないかい。
詩や思想が生まれてくるなんてのも
地下水やマグマがその近くのある意味一番弱いところ言い換えると繊細なところから湧き出してくるようなもので、その出てくるその一点がすごいわけじゃない。
その溜まっている力が強ければ、その一点じゃなくても、全く同じとはいかないけれど、同じようなものが、別の所から出てくるんだと思う。
それが、その時のエネルギーであるし、その一点によるところではない。
その一点であることは、それは結局 そういうこと にすぎないんだと思う