また会える?と彼女は聞いた
ホロウ・シカエルボク


殴り続けた傷口は紫色に膿んで
吐き捨てた唾には汚れた血が混じっていた
敵など居なかった
敵など居なかった、どこにも
おれはただひとりで挑んでいただけだった


アルコールランプのように頼りない街灯のあかり
ウルリッチの小説みたいなショーウィンドウの前で
ジャガイモみたいに腫れた自分の顔を見ていた
まるで相手の居ないキスを続けているみたいに


叫びはあのころのようにカン高くはなかったが
ゾクゾクするような意地があった
おれはまだやっていけるだろう
戦いとは成果の数で語るものではない
まだそれを続ける気があるかどうかという意志があるかないかだ
あるかないかだ


氷のコートをはおっているみたいな夜を
ぐしゃぐしゃとした足音を立てながら歩いた
平日の深夜はまるで死体安置所のように静かで
おれは可能な限り
可能な限り正気を保っていた


最近新しく出来たホテルのそばの
昔からある小さな酒場が並ぶ路地の片隅で
売春婦らしき女がボロボロになって横たわっていた
それはもうトゥラララの話を思い出すぐらいにさ
近寄ってみるとまだ息をしていた
だからおれは彼女を担いで
ホテルの入り口を潜って部屋をひとつ取った
深夜のフロントの若い男はえらく驚いていたが
面倒を避けたかったのか何も言わずに手続きをしてくれた


ツイン・ルームのベッドに女を寝かせて
医者に見せる必要があるかどうか考えた
取りあえず汚れた顔をきれいにしてやろうと思って
洗面でタオルに湯を染み込ませた
気を失っているのか眠っているのかわからなかった
ともかく丁寧に顔を拭いてみると
特別傷があるようではないみたいだった
酒の匂いがひどかったから
悪酔いをしたのかもしれないなと思った
そのうち静かな寝息を立てるようになったので
おれは安心してもうひとつのベッドに横になった


子守歌が聞こえた気がして目を開けると
さっきの女がおれの顔を拭いていた
「あんたね」と彼女は言った
「他人の面倒みてる場合じゃないじゃない、こんなに顔を腫らして…」
「タイミングだよ」とおれは口のなかでもごもごと言った
「おれは目を覚ましていて、あの路地を歩いてた、きみはべろべろになって、あそこで寝てた―だからおれがとりあえず面倒をみたのさ」
女は訝し気にしばらくおれのことを眺めて
「どうして起き抜けでそんなに長く喋れるのよ?」
「きっと頭のなかでいつも喋り続けてるせいだ」
「面倒臭いやつだって言われたことは?」
「たくさんある」
「でしょうね」
「気分は良くなった?」
「他人の面倒がみられるくらいにはね」
「そりゃよかった」
「喧嘩でもしたの?あなた」
「喧嘩っていうかなんていうか…」
「喧嘩じゃなかったらどうしてそんな顔になるのよ?」
「たとえば、わざと手をつかずに転んでみたり、とかさ」
はぁ、と女はため息をついた
「ポンヌフの恋人って映画、観たことある?」
「ないよ、レオス・カラックスだっけ」
「そう、その映画でね、主人公が自分のてのひらを拳銃で撃つ場面があるの」
「へぇ」
「あなたのやってるのはそういうことだわ」
「でもおれはカンヌにはいけないな」
「そうね、つまり無駄骨ってことよ」
「それは困ったな」
「なにが困るのよ」
「小学生の時からやってるからさ、こういうの」
「マジ?」
「マジ」
「うーん」
「たぶんはじめっからどこかがイカれてるんだ」
「他にはどんなことをするの?」
「歩けないふりして繁華街を這ってみたりとか」
「マジ?」
「マジ」
「うーん」
「いま、何時?」
「えーと…三時ね」
「おれたちはもう一眠りしたほうがいいと思うんだけど」
「そうね、賛成…面白い話を聞く時間じゃないわ」


そうしておれたちは朝まで眠った
そしてホテルの前で別れた
「ね、また会える?」と彼女は聞いた
「たぶん会えるだろう」とおれは答えた
女は名刺を取り出しておれに渡した
「面白いことがしたくなったらお店に来てみて、少しは助けになれるかもしれないから」
「覚えておくよ」
「ね、ほんとよ、あたしはあなたのおかげで、凍死しなくてすんだんだから」
「約束するよ」
「ね、顔が腫れるまえにね…」
ああ、とおれは答えた



「あんたが起きてるときに」



自由詩 また会える?と彼女は聞いた Copyright ホロウ・シカエルボク 2018-12-14 00:45:14
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