沈黙の海
新染因循

海に近づくと一瞬の真空がある。
漣は失望のように浜辺につもり、
明日を生きる人は海を捨てた。

漂白した回想が水泡となったころ
海は思い出したい人を抱いて、
漣はやはり、つもるばかり。

空と海のひびきあう水平線をこえても
雲は、海藻は、
ゆれるばかりの、在るばかりの
沈黙

考えたことがあるか、
空と海の屈折率を、
くりかえされる一日と
あわいにゆれる波を、

波のなかに鏤められた
沈殿した時間の硝子めいた煌めき、

海硝子はいずこの海流に漂い
いかなる波と砕けたのか。

白浪が大地に砕けちると
ただ渦を巻く水面のように
思い出は、白むばかり。

いつかの海面が剥離して空になる。
空は欠けらになって暮れていく、
忘れられたさいごの空を
瓶に掻きあつめると夜になる。

夜は、
名を失くした亡霊たちと
いまだ言葉たらずな沈黙をたたえて、
深く、深く

夜明けの潮騒と泡沫のように
記憶の底から響いてくる便りはいつだって
囁き一つものこさないで、

そして大口をあけた底抜けの
海が、
海だけが残る。

海だけが残ると、
忘れたい人が来る。

忘れたい人は沈黙のなかに
息を吐いて、

海になる。


自由詩 沈黙の海 Copyright 新染因循 2018-11-25 10:52:13
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