記憶にかからない橋に
こたきひろし

桜並木が校庭を一周していたわけではなかったのかもしれません だけど桜並木に咲く花などどうでも構いません
確かに彼の記憶は水分を失い干からびていました
全ては不確かな世界のぼんやりとした景色だったのです

校庭の隅に遊具がありました 遊具の近くに砂場があってその先に鉄棒がありました
校舎は木造のかなり古い建物で雨が降ると雨漏りがしました

彼は記憶の鉛筆でぼんやりと佇む景色を遠くに眺めながらスケッチを始めてしまいました

彼女は十一歳であったかもしれません 名前は覚えてません 軋む廊下を向こうから駆けてきました
慌てている様子でした 彼女は白いスカートをはいていました そのスカートのお尻の辺りが真っ赤な血で染まっていました 足早に通り過ぎていく彼女の後ろ姿を 彼は驚きの眼で追いかけているだけでした

学校は一学年一つのクラスでした 彼と彼女は同じ教室で担任は女の先生でした
その時 廊下を反対方向から歩いてきた担任の河原井文子先生が事態に気づいて彼女を保健室に連れて行きました だと思います 定かではありません
二人はそれっきり彼の記憶の世界からかき消えてしまいました

記憶とはいつも曖昧模糊としています
記憶が前触れもなく突然現れる癖が彼にはありました 癖と言う表現は適当ではないかもしれませんが
現れて何の脈絡もなく消えるのでした

夕暮れ
スーパーマーケットの店舗の前 端に数台並んだ自販機で彼は温かい飲み物をコインと引き換えにしました が
その時 彼の心のなかにはなにものにも引き換えられないものが佇んでいました
何でしょうかそれは 解りません

彼が飲みながら見上げた空は 雲が魚の様に泳いでいるように思えました


自由詩 記憶にかからない橋に Copyright こたきひろし 2018-11-25 06:53:59
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