てっぽ、って、詩でしょ?たとえ悪すぎッ!
秋葉竹



ヘタなてっぽも数撃ちゃあたる、のたとえ通り、詩とか、短歌(?)とか、散文とか、書きまくっていたら、30作書くのに、30日必要としなかった、って話さ。気がつくと、ね。
まぁ、なかなか、てっぽは、当たらんけどね?
どだい、詩作って、基本的には感性優先だから、小説やマンガなんかと違って、あらすじやネームを先に考えて、全体像をちゃんと見据えてから書かなければ最終的には収集がつかなくなる、みたいな事態だけは避けられる。
理由は、短いから。
帳尻合わせが、まだ、比較的、やりやすいのだと思う。
無論、そうでない詩作があるのも存じ上げております。それは、一目瞭然ですよね。
私みたいな、言葉使いが冗長で、言いたいことがわかりづらい詩を書いているのは、ダメなんでしょうね。
なんていうか、ほら、あの将棋の、むかし雑誌とかによく載ってた、これで王手、逃げられないでしょ、ハイ終了、みたいなパズルみたいな頭脳ゲームがあったでしょ?
なんてったっけ?
ああ、それそれ、『詰め将棋』のこと。
その詰め将棋みたいに、詩を書いてみるときもあって、そのときの詩は、先ほどの詩作の欠点を補っているとは思うのだが、いかんせん、私が書くと、その手の詩は、ぜーんぜん、面白くないんだよなぁ、これが。
いや、それで書かれた素晴らしい詩があるのも、というより、素晴らしい詩はほとんど例外なく、そういう詰め将棋みたいな書き方で書かれた詩ですよねぇ。
ええ、知っては、いるんですよ。
知っては、いるんですけど、私はまだ道の途中ですねぇ。
筆(スマホ)を、走らせっぱなし、っていう書き方になってしまうんだよなぁ、どうしても。
むろん、『求む、反省。成せよ、改善。』、というのは、そのとおりなんだろうけど。



散文(批評随筆小説等) てっぽ、って、詩でしょ?たとえ悪すぎッ! Copyright 秋葉竹 2018-09-30 09:02:45
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