1.
サナギズムとはサナギのままでいることに硬派性を感じる主義である。
「俺は絶対蝶になってやんないもんね!」的な考え方が広く受け入れられローマからドイツ、日本の文化にまで大きな影響を与えた。
日本の終戦後の高度経済成長はサナギズムがささえたといっても過言ではない。
1900年代後半になってくるとヨーロッパでのサナギズムも徐々に衰退していく。
そして取って代わるように「サナギのままじゃ社会に役に立たない」という思想のポストサナギズムが隆盛を誇った。
ポストとはafter,つまり後の意。
ポストサナギズムとは、蛹のあと。つまり蝶になってしまう。
よって、ポストサナギズムは近代にはいるとアゲハズムへと進化を遂げることになる。
サナギズムはサナギのままでいることに硬派性を感じる主義だが
アゲハズムはアゲハになろうという積極性がある。
2.
もし、サナギズムの蛹がアゲハになってしまったらどうするのだろうか? という議論は長年なされてきた。
しかし、蛹のままでいたい蛹が、アゲハになった場合は――?
ポストサナギズム〜アゲハズムの代表的人物ポメロ・ポメラニアン(1962〜)は著書「アゲハズム」の中で
サナギズムとはメタファーでありこれは実際の蛹の問題ではないので、蛹でいたいままならばアゲハにはならない。
と結論づけている。
アゲハズムはヒガシダ文庫から出ていたが、現在絶版である。
3.
ポストサナギズム、もう一人の立役者、ミソソ・ミソレッドは著書「未来のサナギズム」の中で「必ずアゲハである前に蛹で無くてはならない」というふうに述べている。
ミソソ・ミソレッドはもともとポストサナギズムの人間であったが
袂を分かってイッショウサナギズムへと進化していく。
イッショウサナギズムとは一生サナギでいたい、という自堕落な欲求そのものだった。
その背景には、1982年に最愛の人ミソパンコと死別したことも関係しているのであろう。
4.
現代、サナギズムは衰退し、学校教育ではアゲハズムが重点的に取り上げられる事になった。
教科書からは九割の「サナギ」という文字が消え、子ども達はサナギズムのことについてもう知らないだろう。
しかし、私はそれをとても残念なことだと思う。前述の通り、日本の高度成長はサナギズムが支えたのである。
サナギの「耐え抜く力」。これが今必要なことではないだろうか。
日本はもういちどサナギズムを見直す必要がある。と、私は考える。
5.
どうして人は自分のあり方を蝶の成長過程になぞらえただろうか?
それは、今も謎であるとされている。
やはり人間は美しい蝶に古代から憧れを持っているからなのだろうか……。
そこには時代のロマンがあるのである。
参考資料
ヒガシダ文庫 「アゲハズム」
ヒガシダ文庫 「未来のサナギズム」
吉田書店 「サナギズムの隆盛と衰退」
山陰書店 「サナギズムの復活」
著者:「サナギズムを復活させる会」
(敬称略)
会長:清水一希
会員:ヤギ
:いとう
:ちる
:airsmoker
発案:宮森 竜
(文章のまとめ、大部分の作成を行った清水さん、ヤギさんの許可を得て投稿)
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