Storytelling, Again 2018・9
春日線香

もう一年になる。トラックが子供をはねて今もそこに白い花が供えてある。途切れずに誰かが、たぶん遺族だと思うが替えていて、そこだけいつも瑞々しい気配が漂っている。夜暗くても甘い香りがして花が供えられているのがよくわかった。通りすがりに横目でちらりと見る毎日で、その白い花がいつまでも枯れないなにかの目印になっていた。


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地下鉄のホームの端には観音開きの扉があり、さらに地下の映画館に続いている。古い時代には小劇場であったらしく、今は喫煙所になっているあたりにはかつて営業していた食堂の名残が認められる。観劇の前にそこで弁当を買って客席に持ち込むのが通例であったようだ。自販機でジュースを買って壁のポスターを眺めていると館内からくぐもった音が伝わってきて、誰も通らない廊下にはしばらく自分一人しかいなかった。


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絵の教室で聞いた話。とある農家から出た木の仏像があって、手に入れた画家がアトリエで作業の合間に眺めて過ごしていた。ある日、いつものように画布と格闘していると、いきなり真っ二つに仏像が割れた。頭の先から膝まできれいに二つに分かれてしまい、おそるおそる開いてみると、仏像の中には蟻の巣が広がっていて、ただしもう蟻はとうの昔に消え果てて巣の廃墟になっていたという。まるで胃や腸のようだったよ、と画家は笑いながら話した。


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枕に頭をのせて考える。今この床下の暗闇のさらに下、地中に太古の塩水の溜まりがあって、そこでは数え切れないホヤの群れが生きている。無数のホヤが幾重にも積み重なり、水を吸入しながら性交に励んで際限なくその数を増やしている。赤茶色の華麗なる王国。無言の喜びの歴史。彼らがそれぞれに夢見ている宝石の小函に納められた、一粒の新鮮な砂金の輝き。


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曇り空にいくつもの首が浮いているだろう。固く目を閉じて口元には微かに笑みを浮かべて。風向き、あるいは地球の磁場に従って一様に同じ方角を向いて。どの首もかつて生きた記憶を持ち、中にはまだ地上に暮らしているものもあるかもしれない。だが時が来て雲が晴れれば熱い太陽に熱せられ、熟した葡萄のように弾けるだろう。痕跡も残さずこの世から消え失せるだろう。誰もがそれを知ってはいるのだが。


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見えているのに見えないふりをしている。うっすらと埃の積もった本棚、弱っていく観葉植物の鉢、皮膚の下の小さなしこり。生活が生活でなくなり、わたしが人間でなくなるのはどの冬の真夜中なのか。水道から流れる水がわざと焦らすようにゆっくりと排水溝に消えていく。ほんのわずかな音も立てずに。


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葉が雨音を弾いている。灰皿には吸い差しの煙草と、アプリコットティー、机に珪化木、散らばったディスク。繰り返しの喜劇と悲劇。何もかもが夢だったらと思う時もある。投げ出した小説を開き、栞がわりに挟んでいた絵葉書を眺めている。雨に閉じ込められて静かに、いつまでも眺めている。


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明るい昼間に歩く僕の内臓は重い
死と夢がいっぱいに詰まった袋を持たされて
パトカーの脇を過ぎていく
残像を曳いて
どこまでも行けると信じている
誰が無理と言おうとも
自分でさえ思いもよらぬ距離を
遠い国まで聴きに行く
無限の無駄話 花よりも確かな
地下水の音楽
悪い風の囁き声を





自由詩 Storytelling, Again 2018・9 Copyright 春日線香 2018-09-20 17:59:45
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