歯車のこと
はるな


むすめに小花柄のワンピースを着せたので、自分は紺色の格子のワンピースを着る。ふくらはぎまで裾のあるざらっとした生地の。雨は降ったりやんだりする。
「びしょびしょになってもいーんだよね」ってむすめが言うからそのとおりだとおもう、でも夫はしぶい顔をしている。そして案の定かばんから小さく畳まれたタオルを出して備えている。濡れた犬みたいなむすめと飼い主みたいな夫、わたしはざらっとした生地のワンピースでみている。
車でショッピングモールにきて、むすめの服とわたしの服を一着ずつ買ってもらった。眠ってしまったむすめを抱きかかえる夫の肩が寝息でしめっていくさま。

夕方夫がスポーツ・ジムにいってしまったので、ベランダでたばこを吸う。むすめにはすこし離れてるんだよ、って言って。「はい」とちいさく(でもただしく)返事するむすめ、街のびしょびしょを見下ろしながら、「さっきあさだったのにもうよるになっちゃったのはなんでだろう。」と残念がっている。
このひとはさいきんなんでも可愛く不思議がるので面白い。「なんでくつのひも白いのがだんだん茶色なんだろう」とか「ママなんでベランダでふーってしてるんだろう」とか「おふろっておみずからできてるのにあったかいのはなんでだろう。」とか。わたしは、つめたいコンクリートにちょっと触ってみたりしながらいちいちこたえる。そのときどきでちがう、(そもそも見当違いかもしれない)返答を、期待もなく聞き流すむすめの小さな耳のために。
とにかくどういうふうにでも(でもできるだけただしく)生きていくより他になく、それは死んでいくということであるし、世界ということ、無意味さと無価値さ、あと美しさ。携帯電話のあかるすぎる四角形のなかにはそれは無く、かといって街へ出れば見つかるということでもなく、終わり続ける物ごとに真剣に刺さろうと目論んでも失敗するし、それが悪いことにも思えないし、そりゃあできれば成功するにこしたことはないけれど、でも成し遂げるということと成功はちょっとちがうよ、わたしはあなたにあなたの人生を成し遂げてほしいと思うよ、わたしがわたしの生活を1日ずつ成し遂げてゆきたいのとおんなじように。でもむずかしいね。すっごく!
ときどき感傷的になりたくてベランダにすわってみたりするけど(だって部屋は変わるけど、ベランダの感じってどこもあんまり変わらない)、雨でむこうがよくみえないな。壁に背をあずけて、なんとなくわたしをみているむすめ、水色のサンダル。「きょうあめだからワンワンもくつはいてたよね」(そうんなんだ)、「それでパパとだっこしてみてたらわんわんがくつはいてるからむこういっちゃって行っちゃったっておもったらワンっていったからアイサツしたんだよってパパがいった。」(あいさつしたんだね)、「パパがかえってきたらみんなでおふろはったらはーちゃんとママおふとんでねよ」(寝ようね)。

それでもまだ 、っていう感じのなつかしさ。十分とか、足りてる、とかにいらいらする感じ。天気の良い昼間、電気を消して居る部屋のさびしさ。(そうして、こんなところまで来ちゃったなっていうやつ)。
たしかにやり方はどんどん変わっていく、言葉は直感的になって記号っぽくなる(卍)、それって螺旋階段を一周回って一段あがったみたいな高度さ(「みないでね」っていう暗黙と、「みていませんよ」っていう暗黙)。進化した地を這う蝶。
「なんかいいね」ってコマーシャルから感じる違和感がどんどん薄れていくと、「なんかいいね」が「なんか」になる。でもそれって嘆くことではないとおもう、歯車の回転数が上がって上がって上がりきって、凹凸がぜんぶすり減ってひとつの輪になるのだとしたらなめらかで素敵だ。時代はなめらかになっていく。一方であたらしい歯車が生み出されて(フラクタル)!

雨のなかあそんだからかすこし熱をだしたむすめ、唇がかわいている。芍薬は二週間ももったけど、とうとう茶色くなってしまった。「はぐるまって知ってる?」とむすめに聞く。
「えーと、おりょうり?」
あはは、と思う。わたしはにっこりしようと思ってにっこりする。そうしてこんど歯車をみにいこうね、と約束する。むすめは眠ってしまう。


散文(批評随筆小説等) 歯車のこと Copyright はるな 2018-05-14 09:35:19
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