なぜ悲しみばかり流れるのだろう?
秋葉竹
なぜ悲しみばかり
流れるのだろう?
遠い夜の街を歩く人の
みやびで正しい歩調があり、
この国のよどんだ人の心に
ひとつの透きとおったメロディーを流す
ありきたりな流行歌がある。
新しい生活のリズムに合わせて、
奏でる完璧な夢の残骸に
戸惑い牙を剥く、
月並みの怒りの言葉が、
拒絶を指し示す季節風に映るから、
ただ眼をつむってしまう。
思わずその空気を無視してしまう清々しさに、
かたくなに眼をつむってしまう。
夜の闇の、深さを知れ。
その綺麗な蒼色を、
やさしさで見ようとする鳥籠の住人は、
翼をもぎ取られた過去の傷を癒やせず、
もはや罪のレンガ造りの家の中から、
「空を飛びたいのです、」と
最後の防波堤としての希望を
歌にしようとするしかなく、
その歌にはいっそ悲しみ色の空をもう一度、
白い鳥のものにしてあげるという、
はかなげな夢が織り込まれていた。
なぜ悲しみばかり
流れるのだろう?
この国の空気には、涙よりもつらい水分が、
パントマイムの影のように
手を振りながら、朝を迎える冷たさがある。
なぜ悲しみばかり
流れるのだろう?
夜が明けるまでに、もう一度振り返る時間も、
もう、この国には用意されていないというのに。