W君へ/或いは美しいものの為に
高田夙児



 僕は、(――と書いておこうか、とり合えず、)
 今日近江八幡へ行きました。そこは盾みたいな山が
 そびえてて、「お、盾さんだ」とか意味不明な事を
 考えたりしながら、ドライブしていました。
 
 昨日、乙一の「くらいところで待ち合わせ」を貸し
 てくれた人に会って、(面白くなかったこと)を遠
 まわしに説明しようとしていましたが、途中からう
 まく話せなくて、でもここでやめたらいつもみたい
 にすべて中途半端、と思い、
「えーっと、だから、ストーリー云々ではなくて、こ
 の作家の言葉や文章に対する無神経なところが好き
 になれないんですよー」
 と、全然まったく遠まわしではなくストレートにつ
 い言ってしまい、そのあとフォローするのに大変で
 した。そういう苦しい人間関係なら、別に付き合っ
 っていかなくてもいいんじゃないのか?とは思わな
 いのはどうしてなのでしょうか。

 一昨日、友人の家に半ば強制的に泊まりにいかされ
 ました。自転車で三十分以上かかる一軒家につくと、
 いつものように三階の部屋へいってとりあえず持っ
 ってきた酒とあたりめを開けて二人でもそもそと食
 べました。今友人は2ちゃんにはまっていて、自分
 で作ったスレッドの現在状況を逐一説明してくれる
 のですが、なんだかあまりうまく聞き取れない上に、
 小さな画面のPCなので友人の肩や顔で僕には画面
 があまり見えません。結局夜の遅く、というか朝早
 く寝、でも大きなベッドのわりに布団が小さく、奪
 い合いとなって僕は負けました。
 朝、帰り際に、また来いよ、という言葉に、オッス
 と僕は返しました。

 一昨昨日は、大久保にいました。豪華マンションに
 住む友人の家でパーティーを。持ってきたアルコー
 ルはほぼなくなりました。でもさすがにテキーラだ
 けは半瓶くらい余っていなした。三人くらい先に勝
 手に倒れましたが、僕はその日意外に酔わなかった
 ようです。そして「ごっつええかんじ」を借りてき
 てみたり、していたわけだが、僕の家はテレビを見
 る習慣がなかったので、――というかテレビさえな
 い時期があったので、テレビ番組というものが未だ
 によくわかりません、第一お笑いって何?と一見お
 高くとまっているようにも見える質問ですが、実の
 ところ切実にわからないのです。皆が爆笑している
 ところでも笑えないのは少し寂しいようです。

 圧縮して俯瞰すれば、僕の日常は最近ちょっと忙し
 い。そして今暖房を切った部屋の中にいるととても
 寒いです。でも充実感や充足感を感じることはない
 みたいです。満たす、って言葉があるでしょう、で
 も僕の場合それは悲しさや寂しさだけに通じるよう
 です。

 感傷的でないと生きていけないのは幸福になったこ
 とがないからなのかも、なんてね、思ったりするこ
 ともあるのです。僕からすれば君は幸福ではないと
 今現在思えるわけですが、だからといって不幸でも
 ないと思えます。英語でいうと、ソーソーですか。
 僕は、自分は不幸にはならないような気もしますが、
 不幸になるような気もします。でも幸福になる気は
 しないのです、本当のところ。

 僕らは川のある町で生まれ育ちました。それから君
 は都会へ行って、僕はここに残っています。漆喰の
 剥げたお寺の裾を僕は未だによぎっています。
 君はきっとぴかぴか光るネオンの下にいるんだよね。
 僕は近頃、大江健三郎の「同時代ゲーム」を読んで
 います。肉感的なところが相変わらず気持ち悪いで
 す。
 
 そんなこんなでわけがわからなくなりましたが、最
 後まで読んでくれたなら、僕も書いたかいがあった
 気がします。折り目正しい季節が、僕の眼の前をす
 ぎていきます。今、沈丁花が咲いています。
 それでは、また。お元気で。

 高田夙児
 
 


散文(批評随筆小説等) W君へ/或いは美しいものの為に Copyright 高田夙児 2005-03-20 02:00:28
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