20世紀少年
山人

何もない原っぱの上に
広い草原はあって
その長い草を棟に見立て
小さな小さな
子供たちだけの秘密基地

お面をかぶった僕は言った
     
ともだちになってくれない?
一緒に遊べばみんな友達だよ!

僕はただ
ともだちが
欲しかった



埃立つセピア色の雑貨屋
景品のバッジの当たり券を
持って行ったけど
おばあさんがいなかったから
当たり券を置いて
バッジと交換した
だから
僕は
盗んだわけじゃない

犯人は僕じゃなかったのに
僕は
みんなから
犯人にされた
僕は死刑にされ
僕の机の上には
花が添えられていた
僕は
ともだちから抹殺されて
何処にも居場所はなくなり
名前すらも
消えた

得意げに話した
万博さえも行くことができなくなり
僕はすべてを呪った

みんな死ねばいいのに

熱源は復讐だった
すべてのモノに
復讐しなければならない


世界征服
人類滅亡

ねぇ
首を吊っても
締まらない
ロープ、ない?

*



多くの
人が
死んだ
みんな
血を
吹き出し
数秒でウイルスは
組織を破壊し
皮膚を
血が
吹き抜けて
飛沫した

人類滅亡はもうすぐだ
いよいよ僕は神になれる

その
狂いの
中で
僕は
僕に
破壊
された





やはりね

まだ、おわらないよね?

おわった

終わったんだ




僕たちはあのときにもどった
学校の
屋上で
もう一度
君に会った
君と
話ができた
僕にも
やっと
ともだちができた



※参考

1.はじめに

 3シリーズあり、トモダチが世界征服をたくらみ、それをケンジ達有志が立ち上がり阻止しようとする冒険映画である。
 この映画は、どこにでもあった、古き良き時代がストーリー展開の中でその都度盛り込められ、深いセピア色の風情が楽しめる作品である。また、俳優もいろんなキャラクターを有する俳優が固めており、それだけでも見る価値は大きい。名画というジャンルではないだろうが、3部作をトータル化して考えれば決してB級映画とはいえない味わいがある。
 映画評論家の批評ではほとんど評価されることがなかった作品であるが、出演者達の個性やキャラクターが非常にうまく配置され独特の味わいを感じさせる作品となっている。


2.あらすじ

1970年ごろ新宿区立第三小学校の5年生であるケンジ(唐沢寿明演じる遠藤健児)少年をとりまく、オッチョ(豊川悦司演じる落合長治)・マルオ(石塚英彦演じる丸尾道浩)・ユキジ(常盤貴子演じる瀬戸口雪路)・ヨシツネ(香川照之演じる皆本剛)・ドンキー(生瀬勝久演じる木戸三郎)・モンチャン(宇梶剛士演じる子門真明)・ケロヨン(宮迫博之演じる福田啓太郎)・フクベエ(佐々木蔵之介演じる服部哲也)らは、古き良き時代の中、少年の楽しみを見出し、日々を謳歌していた。
 野原に草で作った秘密基地を作り、そこで流行のGSソングやボブディラン、クリーデンスクリアウオーターリバイバルなどをこっそり聴き、来たるべき万博への憧れを語り合っていた。
 秘密基地の中に居ると、何かを生み出したい感情に駆られるものである。彼らはそこで「よげんの書」を作成した。実に他愛のない、子供心満載の漫画ストーリーの創作である。30年後の西暦2000年に細菌がばら撒かれ、人類は滅亡の危機を迎えるというのである。その危機を救おうとケンジたちは彼ら独自のマークを作り旗も作った。
 彼らと敵対する傍若無人な双子ヤンボウ、マーボウ(一人二役佐野史郎演じる山田清貴)の極悪兄弟との抗争など、計り知れない正義感に満ち溢れていた少年期であった。「この旗を掘り起こすときは、西暦2000年に俺たちが悪の組織と戦うときだ」そう言ってケンジたちは土の中にそれを埋めた。

 199○年、ケンジはロックバンドを組み、活躍していたが、陽の目を見ることはなく、姉キリコ(黒木瞳演じる遠藤貴理子)の子供を母親と育てながら、キングマートというコンビニを経営していた。元は酒屋だったのだが、流行のコンビニ形態にしたのである。だらしない格好でおよそ客商売とは無縁の風体のケンジ、さらに背中には姉の残していったカンナという赤ん坊。コンビニの親会社から叱責を受けるところから物語は始まる。1997年である。
 ある日、ケンジのコンビニに五十嵐刑事(竜雷太演じる五十嵐長介)が現れ、ビールの配達先である敷島教授(北村総一朗演じる敷島鉄男)の所在を知らないかと来訪する。一家全員失踪したのだと言う。ビールのつけが残っていたケンジは断腸の思いで空瓶を回収に行く。そのとき、教授宅の壁に描かれた懐かしいマークを発見する。
 何日か後、新宿第三小学校の同窓会があり、ケンジも出席する。あの当時のマルオ・ケロヨン・モンチャン・ヨシツネ・フクベエなども出席しており、近況などを語り合う。同級生の一人がケンジのそばに来て話を始めた。なにやら自分は離婚したという話で、その原因が妻の宗教団体への加入だというのである。そしてその教団のシンボルマークが、ケンジたちが掲げたあの矢印と瞳のマークなのである。その教祖はトモダチと呼ばれ、あの当時の遊び仲間の誰かではないかという結論に達した。それとともに、その不穏な教団の被害者の会なども立ち上げられていた。
 唯一の女の子ユキジは、税関職員となっており、麻薬取締官として空港勤務。マルオはファンシーショップ経営。ケロヨンは蕎麦屋。ヨシツネはコピー機の営業など、それぞれ社会人として責任ある30代後半世代となっていた。
 ある時、新聞を見ると、その当時の仲間、木戸(ドンキー)の事故死が掲載されていた。マルオらと共に、ドンキーの葬儀に出席し、死の原因を話し合い、昔埋めたとされる「よげんの書」を探す。しかし、「よげんの書」は見つからず彼らのシンボルの旗だけが土の中から見つかった。
 ケンジはドンキーの死の真相を探ろうと彼の妻を訪問する。高校教師をしていたドンキーは教え子の田村(学生演じる、井浦新)という青年が教団にかかわっている事に頭を悩ませていたという。引き続きケンジは田村宅を訪問し田村青年と会う。しかし、田村青年は奇怪な言葉を叫び、立ち去る。
 ある日、ケンジのコンビニに万引き集団が現れ、ケンジは万引き軍団のホームレスのカミサマ(中村嘉葎雄演じるカミサマ)に誘導され、彼らのアジトに連れて行かれる。カミサマのアジトの一角に血を流した男が横たわり、ケンジを待っていた。数日前にサンフランシスコに細菌兵器がばら撒かれ、次のターゲットも「よげんの書」どおりにばら撒かれるのだと男は言う。ケンジとオッチョがおもに考え出した「よげんの書」の事をケンジはとっさに思い出した。ケンジ達の住む町の一角にサンフランシスコという喫茶があり、その隣にロンドンというスナックがあったのである。それを知ったケンジは愕然とする。瀕死の男はケンジにレーザー銃の試作品を渡し、姉の子供に気をつけろ、と言い残し死ぬ。そして、トモダチの悪に最初から気づいていたドンキーを殺害した事実もそこで知る。
 その事実をマルオとヨシツネに伝え、戦いを挑もうと喚起する。しかし、彼らは今の現実が大事だと否められる。その時、「よげんの書」を思い出したケンジは、今日が空港爆破の日だと知る。羽田空港で麻薬取締官をしてるユキジの危険を感じ、ケンジはただ一人羽田空港へ向かう。そこにはトモダチの腹心、万条目(石橋蓮司演じる万丈目胤舟)が居た。ケンジの少年時代、羽田空港はなかったはずだと嘲笑する。それよりもカンナを心配したほうが良いと捨て台詞を吐く。
 キングマートはトモダチ信者の若者たちに埋め尽くされ、カンナを抱かせろ、神の子を抱かせろと歓声が上がった。間に合ったケンジはユキジと共にカンナを救い出すが、信者の若者同士が責任を擦り付け合い、信者の一人に灯油をかけ殺してしまう。それにより、ケンジのコンビニは火災で消滅する。
 ケンジはその怒りをぶつけるべく、トモダチコンサートに侵入する。ステージで、トモダチの悪や真実を観客に訴えるが、観客はトモダチに心酔しており、ケンジの訴えに聞く耳を持たない。そこにトモダチが現れ、ケンジと対面する。すでにトモダチはケンジをテロリストに仕立て上げようとしていたのだ。そして、トモダチは姉の子カンナは自分の子供だという。あっけにとられたケンジは呆然とする。その隙に武器を取り上げられ、外へと放り出された。 傷心のケンジはカンナを背負い、焼けたコンビニあとを見つめる。そのときカンナが土を指差し土を除けてみると、中からケンジたちの書いた「よげんの書」が現れた。
 3年経ち、ケンジはトモダチの手によって空港爆破などのテロリストとしてでっち上げられ、地下に潜伏する。その間、オッチョがタイから戻りケンジに会う。

 2000年12月31日、首都を巨大ロボットが襲い、細菌兵器をばら撒くだろう、「よげんの書」どおり事が進めば大変な事態となる。ケンジを筆頭にオッチョ・ユキジ・マルオ・ヨシツネ・フクベエ・モンチャンが集まり、戦いを挑む。巨大ロボットは、あらゆるものを踏み潰し、細菌を撒き散らしながら進んでいく。そのとき、どこかで遠隔操作をしているとの連絡が入り、フクベエとオッチョがビルの屋上へと向かう。しかし、フクベエはその操作する人間と共に屋上から落下してしまう。
 ケンジは必死にロボットに駆け上がるが、運転席にはダミーがあるだけだった。そのとき「ケンジ君、遊びましょー」とトモダチの声が。トモダチはスクリーンに映し出され、そのお面を取ると「よげんの書」どおり、あたりは大爆発を起こした。そして世界中に細菌が撒かれ、多くの人が死ぬ。「血の大晦日」、である。ここで第一章が終わる。



 2015年、トモダチの支配下に置かれた日本は国民の多くがトモダチを心酔し、世界的にも多くの信者を確保し、政治的なリーダーとしても崇められる存在となっていた。
 2000年、血の大晦日以来ケンジの消息はわからず、ほぼ死亡したものとして考えられ、フクベエもビルから落下し、死んだと考えられていた。
 一方、カンナ(平愛梨演じる遠藤カンナ)は高校生となり中華料理店でアルバイトの日々を過ごしていた。その中華街ではタイマフイアと中国マフィアの抗争が激化し、カンナの勤める店もかなりの影響を受けていた。その抗争を沈静化するべく警察は躍起になっていたが、その一人にかつてキングマートを訪問した伝説の刑事五十嵐の孫の蝶野刑事(藤木直人演じる蝶野将平)が居た。伝説の五十嵐刑事は部下の山本という刑事に細菌兵器で殺されていたのだった。その警察庁長官に五十嵐刑事を殺した山本が君臨していた。そのことを蝶野刑事は後で知ることになる。
 蝶野刑事は警察がトモダチに支配されている旨を長官に報告するが、それを知った長官は蝶野刑事を抹殺しようとたくらむ。蝶野刑事は狙われたが、代わりにニューハーフのホステスが身代わりになり殺される。
 カンナの通う学校では、ケンジたちを史上最大のテロリストとして授業の教材にさえなっていた。それに反発をしていたカンナは問題児として教師に目をつけられていた。カンナと共に、遅刻など要領の悪い小泉響子(木南晴夏)が更生施設トモダチランドにいくことになった。
 トモダチランドの教育係は女の高須幹事長(小池栄子)だった。トモダチランドで、ケンジたちをテロリストとして作られたシュミレーションゲームで高得点を出すとボーナスステージに入ることができた。しかし、そのボーナスステージというのは、廃人になる可能性を秘めた恐ろしいステージでもあった。
 小泉響子は恐怖のあまりトモダチランドを脱走するが、ヨシツネが誘導し、カンナと共にヨシツネ率いる源氏一派のアジトに身を隠す。真実を知るべきと再び二人はトモダチランドへ戻り、最終ボーナスステージへ到達し、トモダチの謎に迫るべく過去へとタイムとラベルする。小泉響子はそこでお面をかぶったサダキヨ(ユースケ・サンタマリア演じる佐田清志)と会い、カンナは理科室で新よげんの書を持ったヤマネとトモダチの首吊りを見る。そこに現在のトモダチが現れ、カンナに娘であると告げる。
 
 血の大晦日以来、テロリストとして刑務所に入れられていたオッチョと漫画家の角田は脱走し、カミサマに会う。カミサマの話によるとヤマネ(小日向文世演じる山根昭夫)は製薬会社の社長となり、ケンジの姉キリコと細菌を研究していたと伝える。

 モンチャンは不治の病に侵され、ユキジと共に病院に居た。「新よげんの書」の一部をユキジに渡し、その2日後にモンチャンは姿を消す。

 学校に英語の新しい教師が来た、サダキヨである。具合の悪くなった小泉響子を車に乗せ、送ると言ってトモダチ博物館へ連れて行く。そこでモンチャンを殺害した事実を告白し、モンチャンメモを小泉響子に渡し、トモダチ博物館で焼身自殺する。モンチャンメモにはカンナの母でありケンジの姉のキリコの秘密が書かれていた。

 カンナはキリコが以前居たとされる町を訪問する。岸壁の上に病院があり、そこでキリコはヤマネと細菌の研究をし、殺人ウイルスの培養に成功したと報告書に書かれていた。

 ヤマネから連絡をもらったオッチョは理科室で会う。血の大晦日以降、ヤマネはさらに強力な殺人ウイルスを開発した。その細菌を使い、トモダチは人類を滅亡させる計画を立てていた。それを阻止してもらうためにヤマネはオッチョにトモダチの暗殺を依頼する。
 「新よげんの書」では、《2015年、新宿の教会で救世主は暗殺されるだろう・・・》、こう書かれてあった。しかし、救世主はトモダチのことではなく、カンナのことであり、カンナに銃口が向けられたがオッチョに助けられる。一方、新宿視察中のトモダチはヤマネに撃たれ死亡する。ヤマネも、刑務所から出てきた田村マサオに射殺される。
 トモダチの葬式が執り行われるが、トモダチは動き出し生き返る。死んだものが生き返ることによってトモダチは神となった。

 「新よげんの書」は、最後のページを迎える。《あくまのせーるすまんがせかいをほろぼす》そう書かれていた。世界中にさらに強力な殺人ウイルスが撒かれた。
 ここで、第二章が終了する。
 ラストシーンにケンジが登場する。



 2017年(トモダチ暦3年)、ケンジはバイクにまたがり、生きていた。東京はトモダチの手によって1970年代の町並みに再現されていた。
 オッチョと漫画家はウイルスが蔓延する壁の向こうから、トモダチによって1970年代に復元された東京へと侵入することができた。
 東京では、反トモダチ組織としてヨシツネ率いる源氏一派と氷の女王と呼ばれるカンナ率いる組織があった。
 オッチョは氷の女王カンナ率いる組織と会い、ラジオから流れるケンジの新しいフレーズの歌を聞き、ケンジは生きていると確信する。
 トモダチは「2017年8月20日、宇宙人の襲来と未知のウイルスにより、人類は滅亡します。私を信じ、私とあるものだけが救われます」こう訴えた。

 国民的歌手、春波夫はトモダチの組織に属しており、ケンジたちの幼なじみマルオは春波夫のマネージャーをしていた。春波夫こそケンジたちの元ロックバンドのドラマーであり、焼き鳥屋のオヤジ(元YMO高橋)はベース担当であった。
 マルオはかつての仲間ケロヨンと会う。ケロヨンとマルオはキリコに会い、キリコの開発したワクチンの自己人体実験に立ち会う。そこでキリコは今までのいきさつを彼らに話す。
 【1994年、キリコはトモダチと出会い、1997年にカンナを出産する。それと同時にトモダチが悪の組織のリーダーだと知り、カンナをケンジに預ける。
 2003年、キリコは自分の開発した殺人ウイルスのワクチン製作をアメリカで行っていたが、トモダチに邪魔をされた。それを助け出したのが、アメリカでそば修行をやっていたケロヨンであった】

 ケンジは、東京の街へ行く関所に着く。関所の建物にはかつて友和党の党首であった万条目が関所代官として成り下がっていた。
 ----万条目の述懐----
 【1971年、露天商だった万条目はケンジたちの町に行き、露店を開いていた。そこにトモダチが現れ、首をつっても締まらないロープはないかとたずねる。
 1981年、万条目の事務所にトモダチが現れ、宗教団体のようなものを設立したのだが、パフォーマンスが必要で、万条目に力を貸してほしいと来訪した。1983年には、空中浮遊などのパフォーマンスで、さらに大多数の信者を抱えていた。
 1994年、トモダチは細菌科学者キリコを必要とし、当時キリコが交際していた、モロボシダンを殺害。その後、お茶の水工科大学の敷島教授を拉致し血の大晦日の巨大ロボットを作らせた。
 血の大晦日は未曾有の大爆発だったが、ケンジが乗り込んだロボットは操縦室が頑丈なシェルター状のつくりになっており、ケンジは一命を取り留めた。 
 もう、トモダチはやることがなくなってしまい、後は世界を滅亡するしかないと思っている】
 万条目はケンジに友達を殺してくれと懇願する。
 ------ケンジの述懐-----
 【2000年、血の大晦日から命からがら逃げ出すが、記憶をなくし、ひたすら逃げる。15年後、突如ニュースを聞き、記憶が戻る。ふたたび狂ったように北へ北へと逃げ、死ぬ間際で猟師に助けられる。そこで、「現実から逃げない、目をそらさない・・」と心に誓う】

 地球防衛軍がオッチョとカンナを襲撃し、2人とも投降する。カンナはトモダチと会いトモダチに銃を向ける。実の娘に銃を向けられたトモダチはカンナを絶交するという。
 オッチョは、トモダチ側の科学技術庁長官となっていたヤンボウ・マーボウに地下を案内させる。地下室には宇宙人襲来に見立てた円盤2基と二足歩行ロボットが格納されていた。
 敷島製作所に行くと、敷島教授が開発したミサイル追撃ランチャーが開発されており、それをオッチョが操作することになった。

 トモダチの心の中で何かが崩れ始め、ついに人類を滅亡させようと最終決断に近づいていった。そして国民を前に、【2000年血の大晦日・2015年世界殺人ウイルス、すべて自分が計画し、やったこと】だと国民に公表。

 トモダチと会ったカンナは、トモダチが「万博会場だけは残したい」そういったのを思い出し、できるだけ多くの人を万博会場に集結させようと、かつての仲間たちとチラシを捲きコンサートを実施する計画を立てた。波春夫やケンジのオリジナル曲「グータラスーダラ」を聴くコンサートである。
 8月20日当日、多くの観客が朝からコンサート会場に集まった。春波夫の曲からコンサートの幕が開いた。
 一方、トモダチは幹部の前で円盤を発進し、不安げな幹部たちの前で「私を信ずるものだけが救われる」と言う。
 春波夫が歌いだすと同時に円盤から殺人ウイルスが散布され、多くの人が突然血を撒き散らし死んでいった。
 オッチョはミサイルランチャーで1基撃墜する。1台のヘリが現れ、そこにはかつて信者であり、スナイパーであり、囚人でもあった田村マサオが乗っていた。田村マサオのヘリは円盤に激突し、自爆した。

 トモダチは太陽の塔の上でリモコンを動かし、最後の中性子爆弾を積んだ二足歩行ロボットを起動させる。
 ユキジらは、残ったトモダチの残党をすべて制圧する。
 ケンジはロボットの足から内部に侵入すると、中にトモダチが居た。しかし、大きな振動でトモダチは失神する。早くロボットを止めなければならない。ケンジはロボットの足のバランスを悪くして転倒させた。
 ロボットが倒れると中からトモダチが現れる。オッチョが覆面をとると中の顔はヨシツネだった。ヨシツネはトモダチのダミーで、薬で眠らされて覆面をかぶせられていたのだという。
 外から、本物のトモダチが現れ、「ケンジ君遊びましょ」という。そして、トモダチは「僕だよ、僕がトモダチだよ」と覆面を脱ぐ。トモダチの正体はフクベエだった。ケンジは真実を理解し始めていた。「もうフクベエのふりをするな、ごめんな、俺が悪かった」と土下座する。 狼狽したトモダチは「やめろ、謝るな、終わっちゃうじゃないか」と訴える。背後から万条目に銃で撃たれ、トモダチは死ぬ。 結局はっきりとしたトモダチの正体はわからない。

 コンサートのとりにケンジがステージに上がり、グータラスーダラを歌い、カンナと再開する。ここで一応第三章(最終章)終了となる。
  -----エピローグ-----
 コンサート終了後、ケンジはトモダチランドに行き、過去に遡り、トモダチの正体を突き止めることとした。

 1970年ある日、理科の実験大好きカツマタ君は、夏休み中家族と万博へ行く予定だった。教室でも、ケンジを中心に万博の話題が持ちきりだった。いろんなことに詳しいカツマタ君はみんなの前で万博の概要を話し、みんなから尊敬のまなざしを向けられる。そして家族で夏休み中万博に行くことを宣言し、さらに羨ましがられる。
 しかし、現実的にカツマタ君は万博へ行くことができなくなってしまった。その恥ずかしさを隠そうとサダキヨのお面を奪い、夏休み中お面をかぶってやり過ごすことを考える。
 ある日、お面をかぶったままのカツマタ君は菓子の当たり券と地球防衛軍バッヂを交換してもらおうと雑貨屋を訪れる。しかし、店主が居らず、当たり券を置き、バッヂを持ち帰る。それを見ていたケンジはこっそりバッヂだけ万引きしてしまう。すぐ店主が戻り、バッヂが数分ないのを確認し、傍に居たカツマタ君が犯人だという。言わせたフクベエとイケガミはカツマタ君をいじめ、お前はもう死にました、とののしる。
 カツマタ君の万博行きの嘘も暴露され、バッヂ泥棒の烙印を押され、夏休み後のカツマタ君の机に花が飾られ、死んだことにされてしまった。以降、カツマタ君は不登校しみんなの記憶から消えていった。
 心の傷が消えないまま、中学生になったカツマタ君は、学校の屋上から飛び降りることにした。その一歩を踏み出そうとしたときに20世紀、センチュリーボーイ(T ・レックス)が流れる。カツマタ君は死を逃れ、友達になってくれない?とケンジに言う。お面をとったケンジとカツマタ君は屋上でグータラスーダラの歌を作った。
 
 ケンジは過去に潜入し、それぞれの自分の不当な行いを悔い、陳謝する。また、その都度のカツマタ君の消極的な行動を指摘し、お面を取れという。 
 そして、ラストは「僕に初めて友達ができた」とカツマタ君のナレーションで終わる。



3.映画20世紀少年を考える
 
 未来へ向けての期待。日本が戦後復興し、高度成長期を迎え、その未来の象徴とも言える国際的なイベントの万国博覧会。国民的歌手の三波春夫によって「世界の国からこんにちは」という曲が生まれた。
 当時、私もケンジたちと同年代だった。小学校の高学年であり、流行の歌はGS真っ盛りで、タイガースやテンプターズ、スパイダースなどが活躍していた頃である。世界的ロックアイドル、ビートルズの来日後、多くのミュージシャン達がビートルズを模倣し空前のGSブームが巻き起こっていた。
 おやつを買うと【あたり】があり、アイスがもう1本もらえたり、何かの景品がもらえたりした。私の少年期、景品付きというのはなかったが、アイスをなめ終えると棒の中に当たりが印刷してあるものがあったり、5円のフーセンガムには当たりとはずれの紙が付いているものもあった。グリコのおまけとか、ただ食べるだけというおやつではなく、色んな夢があったものである。
 作品中に出てくる【秘密基地】の扱いも興味深い。作業場から持ち出した鉈やのこぎりで、山野の雑木を勝手に切り倒し、縄で雑木を縛りつけ小屋を良く建てた。作品中の子供達のように、そこで何かをするわけではなかったが、油味噌の弁当を持ち込んで食べたものである。家ではない、まさに子供達だけで苦心して作ったまさに基地であった。
 大切なものを埋めるという行為も実に共感できる。私達は当時休火山を源流とする沢に入り、黒曜石拾いを良く行った。拾った黒曜石を透明な瓶などに入れ、土中に埋めるという行為も似ている。
 これらの遊びに絶対的に必要だったものは何か、それは仲間であろう。現代は、携帯やスマートフォンでゲームをしたり出来、ひとりで遊べる環境も整っているが、昔は相手がいなければ遊びにはならなかった。楽しく遊ぶためには仲間が必要で友達が必要だった。友達とけんかをし、遊べなくなった時は何よりも早く仲直りをしなければならない。そんな時代だったのである。
 その時代、いじめなどごくありふれたものだった。子供のいじめに親が入ることもなく、先生さえ介入することもない時代だった。子供達には子供達の社会があり、そこに自分の立ち位置を決めて学校生活を送るのである。学校とはモノを習う場所ではなく、子供達の秩序の中で営まれる社会生活だったのである。
 子供のグループには必ずリーダーがいて、サブリーダーも居た。色んな特技を持つ子供がいて、それぞれに得手不得手があった。作品ではケンジがリーダーであり、オッチョがサブという設定だろう。ケンジは仕切るタイプではあったが、さほどこれといった特技はない。むしろ、頭の良いオッチョと柔道が強いユキジや、足の早いドンキーなどのほうがそれぞれに特技を持っていたと言えよう。ケンジに唯一あったのは、くそ度胸と単純さであろうか。傍若無人な天敵のヤンボウ・マーボウによって秘密基地を破壊され、マルオが泣き崩れるシーンがあるのだが、それに怒ったケンジは「ヤンボウ・マーボウを殺す!」と息巻き、彼らと対峙し「男には無謀と解っていても、やらなきゃならないときがあるんだ!」と威嚇するシーンはまさにこの作品の骨ではないかと思う。
 しかし、一方では当たりくじの景品が欲しくて我慢できず、カツマタ君が無人の店で当たりくじと景品を取り替えたのをいいことに万引きしてしまった事実である。景品泥棒がカツマタ君となり、ケンジは事実を隠し続けた。ケンジのほんの少しの出来心と謝るタイミングを逸したことがさらにカツマタ君を追い詰め、いじめはエスカレートし、机に花まで置かれるようになってしまった。以来、カツマタ君はずっと学校を休み、みんなの記憶から消えていったのだった。
 負のエネルギーを蓄積させ、すべてを恨みという力に替え、カツマタ君はトモダチとして生まれ変わった。
 作品ではトモダチを悪、ケンジ達を善(いいもん、わりぃもん)という区分けをしていたが、結局のところ、どちらも悪であり、どちらも善であったのではないだろうか。罪の重さだけを悪とする考えに対する警鐘とでも言おうか、当たり前のことが、普通のことが悪とはされない理不尽な世の中でもある。そういうメッセージでもあったのではないかと私は考える。




4.映画20世紀少年の見どころ

第一章
風采の上がらないケンジがコンビニの店に立ち、「いらっしゃいませー!キングマートへようこそー」と客を迎えるシーンであるが、これが臭くてたまらなく好きである。つまり、いちいちベタな描写が多々見られ、これが故意で演出されているので面白く映る。
 バイトの店員役の池脇千鶴の愛想まるでなしの演技も注目だ。かつて、NHKの連続テレビドラマ「ほんまもん」のヒロインだとは思えない新境地である。なぜ、彼女がこんな地味な役を引き受けたのかと勘ぐりたくなる役柄でもある。
 ケンジのコンビニの近くに、マルオの文具店があるのもこの映画の展開で重要な部分を占めている。幼なじみが歩いて数分の所に店を構えているという好都合な設定も楽しい。
 物語はケンジやマルオたちの同窓会のシーンから発展していく。恩師達の素人臭い演技とお笑い系の役者軍、そして一流どころの個性ある俳優陣、これらが一同に介し宴会を楽しむ様は無理やり感が豊富で何度でも見たくなるシーンである。また、第三章まで見終わった時点でこの部分を見てみると、フクベイ役の佐々木蔵之助の演技が意味ありげで興味深い。
 子供の頃に考え出した空想物語。「よげんの書」どおりの展開に驚愕するケンジ。徐々にストーリーは大きく進展していく様子はわくわくさせられる。そして、ケンジとトモダチがトモダチコンサートで会うのだが、唐沢のギャグなのか解らないが、作品中に「イテッ」などとボケる部分があるのだがこれもなかなか面白い。トモダチコンサートのロックバンドのボーカル役の及川光博は歌手であり俳優でもあるのだが、やはり歌は上手い。ただ、ケンジが「これがロックかよ」というように、歯の浮くような歌詞の歌はとてもロックとはいえない。
 トモダチコンサート後、ケンジはトモダチによって各テロ行為の首謀者として犯人にでっち上げられ、潜伏を余儀なくされるのだが、バイトでウサギの被り物を被り、オッチョと対面するシーンは大人同士の会話という感じがする。会話の途中でユッキーナっぽい女の子達に営業をかます様子も、唐沢らしいワルノリが好感が持てる。
 血の大晦日の夜、ケンジは戦いの覚悟を決め、最後のさびしいストリートライブを行う。何かを決意し、死ぬかもしれない時に絶対に自分を信じるケンジ。この穏やかな決意は身が引き締まるシーンでもある。
 盛り上がるべきところは巨大ロボットとの戦いであるが、これはちょっと期待はずれ。長い時間かけてのシーンとしては実にもったいないと感じた。
 第一章では、1997年から血の大晦日の2000年までの3年間の話となっている。

第二章
 2000年血の大晦日から15年経過した時点から物語は始まる。この章は色んな話があちらこちらに飛び、変化がある作品となっている。主人公であるケンジは回想のみにとどまる。
 第一章ではケンジを中心に物語りは展開していくが、本章では高校生になったカンナが中心となる。カンナを取り巻くさまざまな配役が面白おかしくこの章を組み立てている。特に小泉響子を演じる木南春香が際立っている。アニメから飛び出したようだと揶揄される風貌はまさにはまり役で、言葉尻や雰囲気は絶妙で木南がいなかったら第二章は無いも等しい。
 ゲイバーのホステス役で主演しているマライア役の前田健、ブリトニー役の荒木宏文らも効果的に濃い味を出している。また、ひ弱な刑事を演じる蝶野刑事こと藤木直人の2.5枚目役も面白い。
この章では、今まで謎だった部分が徐々に解明されていくという展開である。カンナの母のウイルス研究や理科室での真実、少しづつトモダチの正体像が見え出してくる設定だ。サダキヨ演じるユースケ・サンタマリアの不気味な眉毛無しの形相や小泉響子の掛け合いなども面白い。
 トモダチランドの小池栄子演じる高須幹事長も強烈に臭く演じている。が、ミスキャストかもしれない。
作品の変化度、ねたのバリエーションという部分では第一章を凌いでいるかも知れない、が、中国マフイアとタイマフイアの抗争は時間稼ぎのような要素であるといっても言い過ぎではないだろう。

第三章
 第二章のラストシーンから、ケンジが原付バイクにまたがり、生存を知らせるエンディングとなっている。
 トモダチ暦3年(2017年)、東京はウイルスが蔓延した現世と1970年代を模倣した二つの区分けとされ高い壁で仕切られていた。そこをよじ登るオッチョと漫画家の絵から始まる。漫画家とオッチョはそこで別れ、オッチョは1970年代の町並みに姿を隠す。
 子供達だけで生活する家庭に潜入したオッチョであるが、そこでのテレビは懐かしい力道山時代を彷彿させるようなプロレス中継が行われていた。レスラーの名前は雷神とか言う設定となっているが、新日本プロレスの野人こと中西学であった。こういうところにマニアな仕掛けがあると、プロレスファンには実に嬉しい。こと、最近ではプロレスを明らかにショーと割り切って、ひとつの芸として楽しんでいるファンが多いことを記しておこう。
 マルオはトモダチ側の人間、国民的歌手の春波夫のマネージャーとして焼き鳥屋に来ていたのだが、もとYMOの高橋が焼き鳥屋のオヤジを演じている。演じるほどの芸はないが、存在感はある。
 マルオはキリコに会うため、ケロヨンを訪問するが、蕎麦打ちの達人の蕎麦を「んま・・」と言って食うしぐさは、石ちゃんそのもの。石塚の食べる演技はやはりここでも筋金入りなのである。
 キリコ宅を来訪した二人は、菌防護のための防護服を着込んでキリコと対面するが、キリコはすでにワクチンを投与し、新型ウイルスのガスを吸い、自ら人体実験を行っている最中であった。キリコ演じる黒木のウイルスとの戦いと、今までの回想シーンはなぜか色気があり、エロスを感じる。
 ケンジはスーパーカブに跨り、巨大な壁の手前の集落を訪れる。そこで、小さな治安を守っている藤木演じる蝶野元刑事が居た。気弱で朴訥な蝶野警察官を吉本風に演じている。壁の境に関所があり、そこの代官を万条目がしていたが、アル中オヤジ丸出しの演技と1970年代のトモダチとの出会いの回想シーンも興味深い。また、万条目の独白後、ケンジの独白もあり、その中に元祖フォークの雄、遠藤賢二が狩人役で出ているのも味な計らいである。
 第三章は主に全体的な種明かしの作品となっている。キリコとトモダチの出会い、万条目とトモダチの出会い、ケンジの15年間の放浪、そしてエピローグでのトモダチの真実。
 最後は、コンサートでお祭り風に締められるのだが、グータラスーダラへのつなぎのロックンロールが実にかっこいい。唐沢のシャウトもそこいらのプロより上手い。

キャストについて
 一応ケンジが主人公になるのだろう。ケンジ演じる唐沢は実力派の俳優である。シリアスな【白い巨塔】のような役柄から三枚目まで広くこなす。ごく印象に残ったシーンはコンビニ本社からの営業マンから指導を受ける際の「キングマートへ、ようこそー」という、壊れかけの笑顔が印象的なくらいで演技としては印象が薄い。また、オッチョ役の豊川・ヨシツネ役の香川・ユキジ役の常盤・フクベイ役の佐々木・モンチャン役の宇梶らの有名どころの演技はあまり印象が薄い。ミスキャストではないのだろうが、それぞれに主役級か準主役級の俳優達がこぞって出演しているがための、一種ハレーションを生じているからなのだと感じた。【点の記】で山の案内人宇治長次郎を演じた香川照之だとはまったく思えない地味な存在だった。
 これら同級生人の中で比較的良い味を出していたのが、ケロヨンこと宮迫とマルオこと石塚であろうか。共にお笑い芸人であるが、芸人としての言い回しみたいなものが、実にわざとらしくて見ている側としては楽しめた。
 先に述べたが、なんと言ってもカンナの友人役の小泉響子を演じた木南春香は秀逸だった。ああいうのを演技力というのかどうか専門家ではないので解らないが、とにかく言葉の抑揚と間のとり方が天才的だし、表情も実に豊かである。まさに動くゴム人間のようなおもちゃ的キャラクターなのだ。一方の準主役的なカンナは風貌こそマッチ感はあるが、演技は棒読みだし、可愛いのだが魅力は感じられない。ただ、設定的に演技力で勝負する立ち位置ではないので仕方ないのかもしれないが。
 とにかく三章とも、脇役が本当に旨い味を出していて、それだけでも大いに楽しめる作品だといえよう。新宿歌舞伎町教会の仁田見神父役の六平の演技は臭すぎるほどの演技なのだが、それを超えたところにオーラが発生していて、壮絶な芸という感じがしてしまう。カンナと神のことについて話す場面は、まさに赤子と大人程の演技幅があると感じた。
 どういうつながりがあるのか解らないが、お笑い芸人が数多く主演していることが不思議だった。マルオ役の石塚英彦・ケロヨン役の宮迫博之・第一章血の大晦日で原付に乗るちゃらい若者役のオリエンタルラジオ・地球防衛軍兵士役のロンブー田村・TVCMのタレント役の山田花子と藤井・お茶の水工科大学生役のタカ&トシ・物まね芸人の原口あきまさなどであるが、ほぼシリアスな演技であるというのも面白い。
 理解に苦しむキャスティングだったのは、かつて「ホテル」で主役だった高島政信の地球防衛軍兵士役である。もしかすると友情出演的な要素なのかもしれないが、ヘルメットを開けられて一言二言しゃべる俳優ではあるまい。

 第一章から三章にかけて絶対に必要だった役柄は、子供達のキャラクターであろう。大人たちだけの演技ではこの映画の味わいは出なかったといってよい。こと、ケンジを含め、彼を取り囲む子役達の演技は見ごたえがあった。むしろ大人達の演技を食ってしまっている子役もあった。
 なにはともあれ、よく本人と似ている子役を選んだものだと感心する。顔だけが似ている子供を選ぶのは出来るかもしれないが、演技が出来なければ始まらない。ケンジの少年時代の役を演じる西山潤君など、雰囲気が唐沢と似ている。ドンキー役やヨシツネ役の子役もかなり雰囲気が似ている。
 子役の中ではケンジ役の西山潤君が顔・演技とも良かったが、なんといっても個人的にはカツマタ君役の黒羽洸成君の存在感が群を抜いていたように思う。第三章まで、ほぼ彼の目いっぱい低音で作りこんだ声のナレーションが頭に残り、エピローグでのBGMと彼のお面を脱いだ滑らかな顔の印象が際立っている。
 個人的に最優秀女優賞に木南春香、助演男優に黒羽洸成君に差し上げたい。

補足
 第二章で、カンナの住むアパートの火元責任者が【常盤たかこ】・・と、確か書かれてあった気がする。
 第三章で、トモダチがカンナと対峙しラーメンを食べようと椅子に座っているのだが、マスクを取るのだろうか?どうやって食うのか?
 上手い演技があるかと思えば、元K戦士の武蔵のド素人演技は公害以外の何者でもない。こういうシーンがあると、所詮お遊び作品なのかと勘ぐりたくなる。・・ということで、水を差す部分もそこそこあるのが現状でもある。
 お遊び作品と書いたが、ほぼ三章にわたって色んなパロディーやパクリがみられる。漫画家のウジコウジオ(不二子藤雄)・漫画家角田(たぶんつのだじろう)・遠藤健児(遠藤賢治)・小泉響子(小泉今日子)・波春夫(三波春夫)・・など。




5.おわりに

 結局、カツマタ君の負のエネルギーを増幅させた原因はケンジを含め同級生一同ではなかったと思われる。同窓会の時もカツマタ君のことをすでに死んでしまったフクベエだと言い、完全に一人として覚えているものが居なかった。無視され続け、その結果として記憶にさえ残らなくなってしまった自分の存在に落胆し、さらに負のエネルギー高めていったのではあるまいか。もし、あの同窓会でフクベエをカツマタ君だと誰かが言っていれば、その後の彼の暴走を止めることが出来たのかもしれない。
 現代の犯罪は、すべて法律によって裁かれている。人を殺せば悪であり、人殺し意外でも悪いことをすれば悪である。では、悪い事って一体何なんだろうか。いい事とは何なんだろうか。イイモン・ワリイモンっていったいどんな基準で定められているのであろうか。非常にもそれらはすべて警察が仕切り、裁判で悪のグレードが査定される。人を殺すことが悪だが、殺された人は悪ではなかったのか?
 昔なら、あだ討ちがあり、ある程度合法的に裁ける時代があったと聞く。しかし、現代はない。悪は(真の悪は)如何様にしても滅びることはなく、現世を生き続けるのだろう。
 






自由詩 20世紀少年 Copyright 山人 2018-04-09 06:54:49
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