『春と修羅』を読んで
たこ

* * *

某年四月九日。宮沢賢治の『春と修羅』を読了。そのシナスタジア的光の描写に圧倒され、拙筆に忸怩たる思い、悶々とす。あいつは修羅かも知れないが、俺だって一人の修羅だ。以下、帰宅の途についた俺の一詩人としての心象の唄を備忘録的に素描する。

* * *


ちぎれた雲が騒ぎ立てる
宵の暗がりの上澄みを
韋駄天が 飛び去るように駆け抜ける

その様子は あたかもまるで
砕け落ちる光の底で
歯ぎしりしていた 一人の修羅が
天に昇って 姿を変えて
再び 舞い戻ったよう

肩から下げた 甲冑を
カチャカチャカチャと いわせつつ
黒々と伸びる細枝の
先に覗く若葉の端を
ふわりふわりと 飛び越えている

ーああ、あれくらい
軽やかだったら
良いのにな

この世に落ちた この修羅は
青い光の月陰を うらめしそうに
見上げるばかり。

ー薄あかりに照らされて、
にゃおうと鳴いて みようかしら。
いや そんなのは 恥ずかしい
人が聞いて いるかもしれぬ

焼き鳥屋さんで ネギまを買って
ちょいとつまんで もう帰ろう
もくもく煙に燻されたなら
ちょっとは現が見えるかも

腹が減った ぐうとは鳴るな
いや、腹が空くのも ひとつの修羅だ
缶酎ハイでも 買おうかしら
ストロングzeroも 良いかもね
ファミマで買って そのままあけよう
帰りながらの酒盛りだ

ああ、すれちがうOLよ
(丸い頬に 潤んだ瞳
ふわりと膨らむ フレアスカート
のぞく お膝のまろやかさ
浮かぶ白さのあたたかみ )
君には俺が見えるのか?

花のひとひら ひとひらが
ちぎれていって しまったように
このひととき ひとときも
一枚一枚剥がれ落ちる

そうだ 俺はこの世の修羅だ

拠ん所なき独りの俺は
やはりこの世の修羅なのだ

橋の向こうを眺めれば
さらさらさらと 流れ渡る
黒い川の硝子のきらめき
その瞬きから瞬きを
韋駄天が飛び越えてゆく




自由詩 『春と修羅』を読んで Copyright たこ 2018-04-08 21:55:28
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